◆ T-bird BLOG ◆

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いやはやこの暑さはどうしたものか、東京出張はまるで地獄の釜の中にいるようだ。
電車から降りると全身熱波に包み込まれては意識がうすれ、あたりの景色がぼやけて見えてしまう程だ。
気丈に目的地へと進まなければならない。

こんな時こそ、しっかりと栄養を取らなければいけないのです。
昨年から、時間があったら一度は行ってみたいと思っていた場所に、今回ようやく足を運ぶ事が出来たのです。

「俺のハンバーグ・山本」恵比寿店
テレビや雑誌などで幅広く紹介されていて、ハンバーグ好きにはたまらない、まるで聖地の様に映っておりました。
そしてついにその扉を開けたので・・・ありました。
落着いた内装や、無造作に配置された北欧のビンテージ家具がいい趣味です。

まずは「特製野菜ジュース」が登場。
中身の種類を優しく説明されて、その場ではしっかりと覚えていたのですが、今現在1個も覚えていません。
なんたる健忘能力。だけど、うまかったのは確かです。

初めての注文はやはり「チーズハンバーグ」にしました。
単なる「ハンバーグ」から始めても良かったのですが、やはりチーズはかかせないでしょ、と言う事でガツンと行っちゃいました。
この光り輝くデミがからんだハンバーグのうまい事うまい事、初体験にもかかわらず私は御飯のお代わりをしてしまった次第です。
まぁ、お代わり自由ですからね。見ているとほとんどの方々がお代わりしていました~納得の味です。

ただ、この暑さ、半端ない汗が全身を激流のごとく流れまくっておりました。

いや~うまかった、ごちそうさまでした。次回は、かなりの皆様が注文しておりました「グラタン皿に入っていた奴」を食してみたいと思っておりますよ。
(長野県は松本市のハンバーグ大好き三兄弟はすでに行ってるかもね!)


アメリカ出張ではいつも食事を御一緒する「ビーグッド」代表である山田氏とその部下である東京一朗氏、今回「俺ハン」トゥギャザーです。
「いつも御世話になりっぱなしで、本当にありがとうございます」

「ティーボーンステーキ」はもう誘いませんが「俺ハン」はまた行きましょうね!
酷暑の東京出張を無事終えて深夜に帰宅。
心身共に疲れ果てていた私はシャワーを浴びただけでバタンキュー!

翌日、すっかりと体力も回復し、よいこらしょっと仕事へと向った。

すると・・・7月頃一度このブログに登場してもらったマルちゃんからなにやら荷物が届いていた。
「お盆の間、長崎の実家に帰っておりまして、私が幼少の頃になれ親しんだお菓子がそこにはありました。どうぞ皆様で御賞味くださいませ」
とある。幼い頃と言う懐古的フレーズに興味津々な私は早速その封をといたのであります。

「文明堂・かすてらボーロ」
長崎・異国文化・ハイカラ趣味・ロマン漂うネーミング。
どれどれと、私は袋のなかからひとつの包みを取り出したのです。

なんて可愛いお菓子だ。飾りっ気はないが素朴で一途な美しさがある。

「ガブリッ!」
もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「うめ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~これ!」
噛めば噛む程奥深い甘味が咽の奥の上の方に広がってきてくっつく。
一枚目はみ口で無くなった。
どれどれともう一枚、またもう一枚、そうこうしているうちに、ひと袋が空いてしまった。
このうまさは本物だ。本物だからこそ長い年月こうやって語り継がれるように作り続けられているのだ。感動した。
マルちゃん遠い長崎からありがとう、そして、また、よろしく!

その翌日、控え室のテーブルの上を見ると何だかいろいろとのっている。

シュビドゥビまきちゃんがもってきた「カキ」のような「トマト」


岩SOURがくれたというミスタードーナツの袋に入った「ニンニク」


ヒデ(コラムではH)が買ってきてくれた「津軽手焼きせんべい」のいろいろ。

そして取りは奥ちゃん(コラムではO二号)、



果物大国山梨の果汁溢れ出る巨大モモ。すごい迫力だ。


私のいないわずかの間にこれ程の贈り物が届いていた。
いったいどうしたと言うのだろうこの集中型は・・・お盆だったし、もしかしてこれって私へのお供え?
「おいおいっ、私は未だなんとか生きているぞ~!」って、この場をかりて「ありがとう」

さあっ、どれからやっつけようかな!

お盆も過ぎた、とある午後、私は祖母の墓参りへと向った。
先祖代々が眠る菩提寺は静けさの中にある。つい先日まではさぞ多くの方々で賑わっていたに違いない境内。
おおくの花々があたり一面の墓石を華やかなものへと変えている。

長い歴史を感じ取るには十分な存在感と装飾の美しい門です。
私はこの写真を撮りながらこの立派な門をくぐって中の方へと進んでいったのです、
するとその先に年配の男性ひとりと年配の女性がふたり、中にある樹齢300年は経っているだろう大銀杏の下で談笑中。
「その門あるだろ、その立派な門はお釈迦様だけが通る事をゆるされた門なんだよ。だから誰彼が通ってはいけない、そう言う門だ」
「へぇ~そうなんだね、だから私達はこちらの小さな入り口からはいったんだね」
年配グループの声が、たった今、その門をどうどうとくぐって来た私のデリケートな耳を一撃。
果たして、もうくぐってしまった私はどうすれば良いのだ。
いったん戻るか、でもそれはなんだかその老人達に操られているような気分になってしまう、まぁいい、ここはひとつ聞かなかった事にしようではないか、セミの声もこんなに美しいのだし。



本堂へと進んで行くと何だか穏やかな心状になる。空を見上げると青さの中に天女が舞っている。
これ程リラックス出来る空間は他にはないのではないか、とさえ思ってしまう。
祖母の墓に、祖母が生前好きだったはずの「甘酒」と「あずき」の缶詰を御供えし、そして静かに、門はくぐらずに帰って来た私なのでありました。

そうそう、せっかくなので「馬肉ラーメン」に舌鼓、これはうまい!

そして今年のお盆も懐かしい顔が帰ってきてくれました。

山ちゃんは初期の頃の「ハーディー」のメンバー、今ではママ似のかわいい女の子のお父さんに。
「いや~以前持っていたお店権事務所、前の奥さんに全部やっちゃって、今は自宅で設計の仕事をしてるんですよ。またそのうち新しい事務所が欲しいっすね」
「そうか、そうだったのか、じゃぁ今度なんかあれば新しい奥さんにそれらを全部やる事が出来ていいね」
「・・・・・・・・なにを言うかと思えばこのオヤジ、いい加減にして下さいよまったくも~」
「えへへっすまんすまん」

みのる君は中期の頃の「ハーディー」のメンバー。
「昨年(居酒屋)で独立したんですよ。場所は湯島、湯島天神のそばなんですよ。橋本さんが先頭切ってあれこれ考えくれていて、バンドのメンバーもみんなここで頑張ってるんですよ。名前は(あおもリ湯島)っていいます。食材はもちろん青森から取り寄せてますよ。ただ、忙しくってバンドの方が・・・・・」
イイ笑顔だ。
厳しい今日この頃、みんな力を合わせて頑張ってくれよ。
「今度、むっつり山ちゃん誘って行ってみようかな!」

O一号こと大森登場、彼は全く超初期の頃のメンバー。私のコラムにもちょくちょく登場してもらっています。
「森ちゃん見ない間に随分小さくなったな~なんなら取り合えずカウンターの上にでも上がっとけよ、ちょっと腹でた?」
「はいはいはい、今朝仙台出てちょうど今八戸に着いたとこです。去年は来れなかったんで今年は家族4人で来たんですよ。これ笹かまのおみやげですどうぞ、みんなでなかよく食べて下さいね。そうそう、これからかみさんの実家に向うので直ぐに出発しますね。こっちいる間に買い物に来ますよ。えへへっこんな時じゃないとなかなか洋服買えないですからね。それじゃ~また」
森ちゃんはそう言うと、さっさと白のハイエースで走り去った。

その後、待てど暮らせど来やしない。
まさか・・・あいつ・・・帰りやがった?
また山登りしようって言われると思って来なかったかな~わかったわかった、もう山登りしようなんて言わないから、よってくれよ、まってるぞ!
だから・写真・無いし。


とうとう今年もやって参りました。

昼間っから宴(うたげ)の始りであります。
沿道にはたくさんの観客が肩を連ね、店の前の駐車場は露天宴会場と化しております。
宴会部長である岩SOURがせんべいの耳を小鉢にザザーッとぶちまけ、それを険しい表情で見守るタクちゃんの図。
すでに彼等は缶ビール3本くらいはやっつけています。
それにしても昨年に増しての豪華な酒の肴ではありませんか。早朝からせっせと手作りして下さった大野家の皆様、また、気のきいた惣菜をたくさんゲットしてきて下さった皆様、本当にありがとうございます。
これがあるからこそ、みんなこんなに笑顔になるのです。










どうですこの満面の笑み達。祭と料理と酒と友情が作り出す、まるでワンダーランドではありませんか。
実に楽しそうだ。ついつい私もこれで飲み過ぎてしまいましたね。

さすが岩SOUR夫妻、最後、しっかりと新種の泥酔ダンスで締めてくれました。
来年もまたこのダンスが見られると思うとワクワクしますね、それでは今回はこれでお開きとさせていただきま~す。


「あっ山車撮るの忘れた!」



名前は「アキ」。
料理店「ハーディーガ-ディーカンパニー」のスタッフとして仕事をしてもらっていた時期があったが、数年前に突然と本格的に料理の修行がしたいと言い出し、そのまま大阪へと旅立っていったのでありました。
あれからどれ位の月日が流れたのだろう、健忘症の私にはもうとっくに指折り数える事はままならなず、考えれば考える程輪郭がぼやけて行く一方だ、そんな時は一時考える事を休みましょう。
そうそう、その「アキ」が突然と店を訪ねて来てくれたのです。

「おお~アキか、アキじゃないか~、いやぁ~元気そうじゃないか、久し振りだな~」

考える間もなく私の口から大きな声が飛び出した。

「エヘヘッこんにちは~、お久し振りで~す。いまだに大阪にいるんだけど、ちょっとだけ休みがもらえたので帰って来たの。やっぱり古里はええね~」

おおっとさりげない大阪弁・・・しかし何年経過してようが、アキはあの頃とちっとも変わってないような気がする。いやいや、気どころか、あの頃のまんまではないか。
ちょっと気取った顔を作ってはいるが、ぜんぜん若い、ぜんぜん年とってない。
もしかして・・・妖怪だったのか・・・お前。

「今日はね、私のお母さんがここに来てみたいって言うから一緒に来たんだよ。」
屈託のない素直な笑顔も変わりない。

「ちょっとあんた、早く紹介しなさいよ」
元気なお母さんの声が後ろで響いた。


「はぁ~い」
振り向きざまにアキの顔がちょっとゆるんだところをキャッチ。
もしかしてお母さん・・・も若い・・・いくつなのだろう、初対面ではあったが私は勇気を持って尋ねてみた。

「お母さんってお幾つなんですか?」

「私っ、私は60才よ」

ひえ~~~~~~~~っ!
とても60才には見えない。決して見えない。動きも軽やかだし。頭の回転も早い。
おそらくアキは遺伝だろう、DNAが若さを保っているのに違いない。降参です。

それはそうと、アキとは不思議な縁がある。あの頃、大阪に旅立った時だった。
大阪市内、あちこち料理屋を探し回って、やっとの事で探し当てた店があった。
そこにはなんと私の知人がいたのである。この偶然には正直驚いた。
そして今回初めて知った事なのだが、前回のブログで紹介した「ラウラ」の三浦氏とは、アキのお兄さんが幼い時からの大親友だったと言う。
どうやら世間には何か目には見えないえにしの糸が張り巡ぐらされているに違いない。
とても凡人には計りしれない・・・ものです。



こうして久し振りに一緒の楽しい時間を過した親子はこの後仲良く家路へとついたのでありました。

「大阪か~~遠いな~~暇が出来たらまた来いよ、みんな待ってるぞ!」

7月17日(土)~7月20(火)の4日間、ラウラ・三浦氏による作品展示会が開催された。
場所はいつものNHKではなく、今回は自身のスタジオ兼ショップにて行なわれた。
これがまた風光明美な環境でうらやましいかぎりだ。

この展示会中にはどうしても時間が取れなかった私は、無理を言って休みを取っていた翌日に出掛けたのであります。
この歴史感溢れる古くからの民家を改造した場所が彼のアトリエ。
裏には川が流れ元気な樹木達が育っております。

休み中にもかかわらず、巨大なティキと共に笑顔で迎えてくれた三浦氏なのでありました。
このフロアーにはセンスの良いハンドメード家具がずらり、そして売約済みのシールもずらり。
やはり展示会に顔を出すのは初日にかぎるね。



隣のガレージには額ものがずらり、今回はネイティブ系の図案が中心になっています。
細かい手作業から生まれた作品はどれもいきいきと輝いております。
そしてそのガレージを過ぎると裏庭へ、おお~そこにはなんと虹のトンネルが・・・粋な演出だ。

うわぁ~庭もかっこいい~思わず感嘆の声がもれてしまった私なのでありました。
家具やオブジェの他に造園もできるとは素晴らしい。ガーデンテーブルにベンチ、そしてガラスブロックのはめ込まれた木製の壁もお手製。

井戸のある風景。
これは60年以上清水を出し続けているらしい。もちろんモーターなどで汲み上げているのではなく、あくまで自然に湧いているのだ。
ひと口いただいたがキリリと冷えてスッキリとした飲みくちだ。
まるで極上辛口の日本酒の味わい、さらりと身体に染み込んでいく感覚は清い証拠だ。数日前もホタルが飛び交ったとの事。
昔、昭和の頃の暑い夏、祖母宅の井戸では定番のスイカをよく冷やしていたものだ。
と、懐かしさが込み上げてきたセンチメンタル的私なのでした。

こう言った良い環境から良いものが生まれて来るのですね。
残念ながら私の気持をグッと引き付けた逸品は既に売約済みになっておりました。
次の展示会は絶対に初日に行こうと心に決めた瞬間でありました。

さあっ今日から「ラウラ貯金」を始めようかな、出会った時の為に!
この日、早朝4時、目覚めた私。
なぜなら目覚まし時計をその時間にセットしておいたから・・・。

かなり前、そうロングロングタイムアゴー、私はなぜか「宅地建物取引き主任者」の資格を取得していたのです。
その頃はまだまだ鉛筆を倒して答えを導き出していたもので、「取り合えず」といった感覚で試験を受けた次第です。
この免許証も運転免許証と同じく、数年に一度といった形で更新の為の講習があるのです。
ただ、運転免許証とちょっとだけ違うのが、その講習時間の長さ。
それは朝の9時から夕方4時までといった過酷な長丁場なのです。

講習は青森市で行なう為、私は6時に八戸を出発。
この日はかなりの靄がかかっており、ライトが無ければとても危険な状態、私の頭の中も未だこんな深みの中であります。
午前8時30分
会場である「ホテル青森」に早めに到着。
この頃にはすっかりと晴れ上がり、大きな空はピーカンに。
こんな気持のいい日に「カンズメ」とは・・・・。

大きな会場には約250人が終結。

配られた参考書を開いた瞬間、善良な私を悪らつな睡魔が襲う。
お茶を飲んでも天井を見あげても、ましてや大きな会場を見渡してみてもなんのその、まぶたに限り無い重力がのしかかる。
必死でまぶたを持ち上げようと試みても非力な私のまぶたはノックアウト寸前。
朦朧とする意識の中、身体が前後にふらつきながらも、何とか午前中をクリアー。
まるでダメージをおったボクサーがゴングに助けられた感じだ。

おお~前回よりもなかなかリッチな弁当ではないか。
さらりとたいらげた、が、私にはちょっと足りない。女の子には丁度いいかもね。

午後は毎回お馴染みの顧問弁護士先生登場
そしていつもの一言
「私はあちこちの顧問を引き受けておりますが、なかでもここ青森県は一番好きなところです。なぜなら、ここはすごい、これだけ長い時間講習を受けながらも、眠る人がひとりもいないですもんね!・・・さあ、それでは始めましょうか」
会場はかるく盛り上がりをみせ、そして講議が始った。

ジョークながら眠るに眠れない状況に追い込まれながらも、地獄の睡魔大王がやってきては軽くいなされた。
もうなにをやっても身体が動かない。まぶたが開かない。首が折れ曲がったままもとには戻らない。

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

記憶は無く、講習は無事終了!


「さらば、ホテル青森よ、5年後また来るよ、たぶん」

なんでだろ、本を開いた瞬間から睡魔が襲ってくる、まるで中学生の頃のまま。
そしてまた、不思議と本を閉じた瞬間からシャキリと目が冴える私なのでありました。



こいつ、なかなかいける!
極めて駄菓子的で素朴な風貌でありながらも、ぱくり頬張ると高級感溢れる上品な甘味が口いっぱいに広がり爽やかな沖縄の黒糖風が鼻孔をくすぐる。
歯応えもそこそこにごくりと飲み込むと咽の奥の上部にまったりと粘るように極上の旨味が残る。
その一連の流れをまた欲っし、直ぐにも次の袋を開けてしまう。

初めてこのお菓子を手にした日、私は数分でひと袋を空にしてしまったのであります。



何処かのスーパーの棚にちょこんとありそうなこのさりげない姿にもぐっと心ひかれるものがある。
裏表紙を覗くとそこにはなんと「熊本」の表示。
そうです、このお菓子ははるばる「熊本」から旅をしてきたのであります。
熊本と言えば九州、九州と言えば沖縄も近い、そこで上質な沖縄産の黒糖を使用する事となったのでしょう。
懐かしい甘さなのですが、うまさプラス新しさも加わったそれにはロマンが溢れておりました。



このむさ苦しく濃い~男ふたり。
ふたりは、とある有名ブランドの敏腕スタッフ。
画面左側は「○ちゃん」長崎市出身東京都在住、画面右側は「チュウ××君」八戸市出身岡山県在住、もちろん住む所は違っても同じ会社、たまたま一緒になっての八戸出張での一場面であります。
この満面の笑みから数日後、○ちゃんからは小洒落た焼き菓子が店へと届き、それには女性スタッフ達が我先にと群がっておりました。
翌日、チュウ××君からこの黒糖菓子が時間差で届いたのであります。
太古の昔から生命を保持して来た私にとって、この素朴な黒糖がビンゴでありました。

食したその日、私はネットで注文したのであります。

しかし、○ちゃんは都内に住んでいるから「洒落た焼き菓子」なのは解るが、岡山在住のチュウ××君はなぜ吉備団子では無く「九州は熊本」のお菓子なのだろう?
微かな疑問が沸き上がった。
しかし、その膨らんだ疑問はある人物の証言によって直ぐにも晴れた。
その証言によれば、彼は住んでいる岡山から夜の博多の街へと足繁く通っているらしいとの事。
そこにはやはり彼にしか解らない、何か黒糖よりも甘美な世界が広がっているに違い無い。
あの無邪気な笑顔と変幻自在なトークを武器に今夜もまた博多の街を大股で闊歩している事だろう。

このお菓子との出会いはそんな煌めく世界のどこか片隅で、と言ったところだろう。



ジャジャ~ン!
発注から数日後、とうとう大量のパックが到着したのであります。
しかししかし、みんなに配ったら残ったのは1パック、これは大事に食わなければいけない。

それにしてもあの「無邪気な笑顔」と言う強力な武器、私もぜひ手に入れたいものだ。

近頃、「ダイ」は店に来ている。
と言うのも、今月で、なっなっなんと16才。
ゴールデンにしてはかなりの高齢になってしまい、やや足腰が弱くなってしまった。
特に後足がふらつき介助なしではまともに歩く事が出来ず、オシッコに行くのもままならない状態。
そこで毎日店に出勤と相成った訳であります。


ティービータイムスのカウンターエリア内。
彼のくつろぎスペースが設置され、まるで昼のワイドショ-でも見ている定年後のおっさんのようなゆったり感。
こうやっていると本当は軽々と歩けるんじゃないの、な~んて思われる程健康体に見えてしまいます。
演技かな・・・?


A2Cの嫁、身重のサラサが遊びに来てくれました。
「おう、サラサ、素っピンか?いやいや元気か?俺なんか元気すぎて毎日体中かゆくてしょうがねー。ちょっと咽のあたりを掻いてくんねーかな」
「なに偉そうに言ってんのジジイのくせに、しょうがないな~この辺かい、ポリポリポリ」
「おお~うまいなサラサ、そうそう、その指の感じなかなかええで~」
「ええで~って、お前いつから関西犬やねん、ハッハッハッハッハーーーーてが」


そろそろオシッコタイムに・・・。
「おねえちゃん達大袈裟だな~そんなにみんなでついて来て、全く邪魔でしょうがないな、おいおいジン、お前はしっかりと俺様の腰を支えとけよ、へらへら笑ってんじゃねーぞ、って、お前、顔が半分しか映ってね~ぞ、残念な奴だ」


「ふぅ~さっぱりした。オシッコのきれもまだまだ若いもんにはまけね~ぞっと」


「おいおいオヤジ、俺の事大事に扱えよ、そんでしっかりと運んでくれよ。だけどそんなへっぴり腰じゃまだまだ修行が足りないな。ぐっと腕にも力を込めて、そうそう、やれば出来るじゃね~か。その調子その調子!落っことすんじゃね~ぞ」


「へっへっへっへ~そんな我がままな俺だけど、まだまだ長生きするよ。みなさん、これからもよろしく!お~いジン、この帽子調子いいじゃね~か、俺にくれよ!お前よりは確実に似合ってるから」
前々回、せっかく時間を掛けて地上へと姿を現したのに、無惨にもたちまちのうちに足蹴にされ、茎からぼろぼろにされてしまった「名も無き草」を記憶している事でしょう。
数週間経った今頃「そう言えば・・・あれからあいつはどうなったかな~」などと私の旺盛な好奇心がメラメラと、まるで「浦見魔太郎」の怨念の炎の様に沸き上がったのであります。
そこで、早速デジカメを片手に殺草未遂事件現場へと駆け付けたのであります。

う~ん、私の記憶が正しければ確かこのあたりだったと思うのだが・・・・。
このあたりには小学校があり、しかもこの歩道は皆さんの通学路、そんな60年代のベトナムよりも危険な場所に存在するにはかなりの困難を伴う訳で、毎日がハラハラドキドキの連続の筈。
こちらからは手も足も出せない訳だから、じっと嵐が無事に過ぎ去るのを待つしか手段が無いのだ。

えっ・・・もしかしてお前?
私は目を疑った。あの無惨な姿からは想像もつかない程に回復している。
また、この数週間、何回も襲って来ただろう小さなスニーカー達ののランダムな攻撃をことごとくかわしてのこの勇姿。お涙ものだ。

それにしてもしっかりと回復したものだ。
あの時の惨劇がまるで嘘のように元気いっぱいに葉をひろげている。
ところで何と言う葉っぱなのだろう?って、そんな野暮な事は言いっこ無しにしよう。
どうせ樹木の名前すらろくに解らないんだから・・・。

「せっかくこの世に生まれたのだから、とことん生きて下さいませ」

名前はあるんだろうけど名も無き草へ、世間的に名も無きおっさんより!
ここのところ晴天が続く。
日誌を読み返すと、なんと18日間ものロングロングピー!
ここまで晴天が続くのはなかなか記憶にはない。

しかし、休日にはバイクでトコトコとあちこち出掛ける私にとっては絶好の天気コンディション。
ナイスなひとときを天から頂いているのであります。
そして近頃、友人などのアドバイスもあり、「農道」をひた走っております。
「農道」、そう、農業人が農業に従事しやすいように設けられた道路。
山野地区に多く設けられており、これがまた風光明美な上にアスファルトがきれい、また見渡す限り真直ぐに伸びていたり、なだらかなカーブが続いていたりと変化にも富んでいるのです。
そしてなによりも一番なのは、信号が全く無いのと他の車などがほとんど走っていない事、まるで自分だけの道路のよう。


八甲田へと向う途中、八戸から十和田湖方面へと向う「農道」
ここは比較的こんな真直ぐな道が開けていて、国道45号線上にある数々の町を通らずに「焼山」あたりまで信号機に会わずに進む事ができます。

そしてそのまま「萱野高原」まで走行し、パシャリ!
ナイスピーカンのおかげでナイスビューをゲット。



こちらは、民話の古里「大野村」へと向う「農道」
こんな見通しの良いところもあるのだが、途中山越えがあり高低差と急カーブが続くところもあり、これもまたトコトコと走る分には面白いのです。


「大野村・道の駅」
奥にはレストランや温泉をはじめ、たくさんの施設が充実していてちょいと寄るにしても良い所だ。
きれいな花と共にパシャリ!


「本日お薦めの行者にんにくラーメンですけど、いかがですか~」
シャキシャキと機敏に立ち働くキュートな彼女の直球勝負。
「あっ、じゃあ、それで」
勢いに押され言われるままにそのラーメンをズッズッズ~~~~~~~!
「ぴりりと辛味のきいたスープに深いコクがある。さすが、おね~ちゃんがすすめるだけの事はあるな~」

こんなんで、休日あちこち走り回っているおかげで、かなり日に焼けてしまった。
走行中にサングラスをしているせいもあり、まるで「逆パンダ」風に目のまわり以外が真っ黒。
これはアスリートの様にも見えますが、残念ながら私服ではかなりのまぬけ顔。
伊達メガネが離せなくなった今日この頃なのでありました。



思えば・・・初めて「東京タワー」に登ったのは中学3年の修学旅行の時だった。
その時の印象なんてちっともない。ただここに来たと言うだけの微かな記憶。
なぜなら当時の私は無知で脳天気でふらちなガキにすぎなかったからなのであります。
もちろん現在に至って、その全てが改善している訳ではありませんが・・少しは・・。

その「東京タワー」の存在を再確認できたのは、昭和を描いた映画「オールウェイズ・三丁目の夕日」を見た時だった。
おお~この頃建ったのか、これはすごい、な~んて思いながらも時が経てば再び忘却の彼方。
ところが最近、スカイツリーなる新たなタワーが建築中とのこと、それなら、ぜひそれを「東京タワー」から見てみたい、な~んて思ったのであります。



「わぁ~東京タワーだ、すげ~!」
何がすごいのかハッキリとはしないまでも自然と口からもれた素直な言葉。
なんと、37年振りの感動的「東京タワー」であります。
この超絶なる存在感、これこそすばらしいの一言に尽きます。



展望台は修学旅行生に外国人、その他大勢の老若男女でごった返しておりました。
やはり高い高い。
どれどれあちこち覗いて見ようかな。



おお~あれは、「レインボーブリッジ」に「フジテレビ」じゃないか。
ここから見ると何処もそこもかなり近い感じがする。



あれか~あれがうわさの「スカイツリー」か。
今はまだほんの小さなマッチ棒のようにしか見えないけど、もうすぐ大きな存在感を示す建築物になるんだろうな。
完成時はぜひあのスカイツリーの展望台フロアーからこの「東京タワー」の美しいAラインを見てみたいものだ。



展望台の下段へと降りると、きれいなお姉さんがガラスの上で「ハイ・ポーズ」
まぁいいか、撮っちゃえと言う事で、私もパシャリ!
「あ・ざ・す!」(MOJ・大地風)
まさかこんな日本のブログに登場しているとは思わないだろうな~彼女。

まだまだ時間に余裕のあった私はレストランフロアーへと移動。



新メニューとして紹介されていた「トマトのドライカレー」をぱくり。
なかなか本格的で刺激的なカレーではありませんか。
「う~ん、満足満足、ごちそうさまでした」

それでもまだまだ時間はたっぷりとある。
すると私の目の前に、ある画伯の描くすばらしい似顔絵の数々が飛び込んできたのであります。
「これはぜひ描いてもらわなくては・・・時間もあるし」



ジャジャ~ン、完成!
いやはや、ハンサム度5割増しの素晴らしい作品が出来上ったではありませんか。
「先生、気を使って下さってどうもありがとうございました。」
その為の割増し料金も加算される事なく良心的なタイムサービス料金でセーフ。

ずいぶんと楽しい時間をここ「東京タワー」で過させてもらった・・・出張のような、旅のような、ちょっと近所を散歩しているような、何ともいえない妙な気分だ。

「おっとと、もうこんな時間だ、そろそろ帰らなくてはいけない」

仕事・・・・・まぁいっか・・たまには・・!
草木が勢い良く芽吹き、一面緑に萌え上がる原野。
そんな生命達の熱い息吹を一身に感じながら、飽きもせずに私は今も走り続けている。
(こんなに続くとは全く思ってもいなかったのですが・・・・。)



早朝のいつものコースの一端。
このあたりは歩くよりもちょっとだけ速い、慣らし段階で通る所。そんなんだから回りが良く見える。
アスファルトで鋪装されたこの歩道の数メートル前方に何やら盛り上がり黒く変色した部分が目に入った。
「なんだこれ、昨日までは何もなかったのに・・・」



「えーーーーーっ、お前ってやつは・・・・すごい、すごすぎるじゃないか!」



こんなにも分厚いアスファルトの壁をぶち破ってこの地表へと姿を表すとは見上げたものだ。
数年前にはど根性ダイコンがかなり有名になって町起こしに一役買っていた事が脳裏を過った。
思うに、多分だが、この芽の種はこのアスファルトがしかれる以前にこの地中にあったに違い無い。
このアスファルトは最近しかれたものでは無いし、私の記憶では数年経過しているはず。
と言う事は数年間発芽の時期を待ちに待っての今回登場と言う事になる。
ちょっとづつちょっとづつ、押し上げ押し上げし、やっとのことで自由という翼を手にいれたのだ。
素晴らしい、生命の神秘ではないか。思わず感動の嵐!

「しかし、お前はいったい何者なのだ。まだ、この状態では何者なのかが全くわからない。」

そこで成長を待ってみる事にした。

1週間後、再びその奇跡の場所へと足を運んだ。



「あれっ何処だったかな~あの辺かな~」

なんだかそれらしいものが見当たらない。1週間もあればそれなりに成長していてもおかしくないのだが・・・・・・どうしたのだろう。
一歩一歩そのあたりと思われる所に近付いてみた。

「え==========っ、もしかして、これって、お前なの!」



「無邪気に蹴られてしまったか」

あまりにも、あまりにも無情な世の中ではないか。

いや、これが日常であり極めて「普通」の事なのかもしれない。

「奴はいったい何者だったのだろう?」

根性があれば、そして運が良ければ、ここからまたグッとくるかもしれないね!



ここのところ展示会出張が続く。
これから日を追うごとに暑さが増して来るというこの時季、私達はふっかふか、ほっかほかの冬物の洋服を吟味している。
さて、今年の寒さにはどんな洋服が私達を包み込んでくれるのだろうか、って・・・暑い・・・限り無く暑い・・・暑すぎる!

えっ~~~~30℃・・・・・軽いめまいが・・・・・・!

この太陽サンサンの火曜日、私は「稲村ヶ崎」へと向っておりました。
私の出張において神奈川県の湘南地区へと赴いた事は初。
と言うのも、代官山にあった事務所を引払い、風光明美な「稲村ヶ崎」へと移りすんだメーカーさんがいるのです。
もちろんそのたくさんあるだろう個人的趣味のなかにはサーフィンがはいっている事は疑いようはありませんね。先駆的行動力がうかがえます。
どんな所なのだろう~私としては興味津々であり、仕事の出張でこんなにワクワクした事なんて滅多にあるものではありません。

「湘南新宿ライン」に揺られる事50分

人生初の「鎌倉」、そして凛々しい人力車のある風景。
なんなのだろうこの奥ゆかしくも都会的な雰囲気。派手さを押さえた文化的な空気感。
新鮮な感覚に包まれてしばし呆然。
「あっ乗換えだ!」
思い起こしすぐさま「江ノ電」へと向った。

人生初の「江ノ電」
うわぁ~あれが時たまテレビで目にする「江ノ電」か~でもローカル的な暗さはない。
あ~なんだか新型のモノレールみたいに洗練された雰囲気が漂?いる。
それにしても混み混みではありませんか。

ガタンゴトンと電車は駅舎を滑り出した。
これはいい、かなりいい、すこぶるいい、これで仕事に通いたいものだとまで思った。
電車は密接する家々の微かな隙間を縫うように走る。民家の二階の窓からハイタッチが出来そうな勢いだ。
速度はのどか、なんだかホッとする電車だ。

おお~次だ、どうやらあの先に見える大岩をこえると目的地のようだ。

人生初の「稲村ケ崎」
稲村ジェーンだ(感激)。
彼等がここに引っ越して来なければ、多分、私は一生ここには来なかったかもしれない、そう思うと胸が熱くなった。
事務所はここから目と鼻の先であった。

威風堂々たる一軒家、玄関を入ると大きなリビング兼事務室が広がる。
数年ぶりに友人宅を訪れたような不思議な錯覚に落ち入る。
そしてその先にある大きな窓の先には茫漠たる大平洋が・・・・・。

サーファーにとっての楽園ではないか。
80年代の記憶、どこからかあの若い頃のサザンの歌声が聞こえてきそうな情景。
この家のここからの眺めはおそらく当時となんの変りもない事だろう。
そんな懐かしさすら感じるこの窓からの反射に私の心は瞬時にそれへとタイムスリップしていた。

いい住処を見つけたものだ。
何かを切り捨てる事によって本来の何かを得たのかもしれない。

時間を作ってまた行きます。


ゆっくりと目覚めた次の日。
来年の「うみねこマラソン」はなんとかハーフを走ってみたい、などと無謀な事を画策している昨今、相変わらずのジョギングへと向った。
今日は日がな一日庭の木でもいじりながらのんびりと過そうと考えていたのだが、走るにつれ、汗が額から吹き出すにつれ、全身の細胞が覚醒するにつれ、「またやつの重鼓動を、あの底しれぬ生命の息吹きにも似たフィーリングを味わいたい」などと軽い欲望が沸き出した。

午前11時、太陽の光が威力を増し始めた頃、やはり、私はやつのエンジンに火を入れたのであります。
ドッドッドッドッド~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!

国道45号線を南方と走行。そうこう・しているうちに久慈市へと到着。



「Cafe Rockets」

ここは6年前に知り合った友人夫婦が営むカフェ(カフェ・ロケッツ)。
ちょうど久慈駅の真ん前といった絶好のロケーション。
彼等は長い間ニューヨークに住んでいたのだが、一念発起、故郷であるこの地に戻って来てこのカフェを開いた。
ちょうどそのあたりに初めて私達は会話を交わし、そして交流をもつようになった。
あれからすでに5、6年が経過するのか、時間の流れは本当に速いものだ。



店内カウンター回り。
マンハッタンの雑踏の中に極普通に点在するこじんまりとしたカフェを連想させる佇まい。
明るいうちからバーボンをショットで頂きますか、って感じ。

私はと言えば、またまた本日も、ランチをオーダーしたのであります。
「じゃあ、ポークカレーをお願いします」、って昨日と同じだろ!
(ポークカレーはたまたまこちらでも限定お薦めメニューだったのであります)



それにしても「どんだけカレーが好きなんじゃっ」と言ったところですね。
一般庶民階級に属する私にとって、「カレーライス」「ラーメン」「ハンバーグ」は切っても切り離す事の出来ないソールフードであります。
ただ、若干お金に余裕があれば、やはり頂点に君臨する「サーロインステーキ」は外せませんけどね。
ここ最近はすっかりと御無沙汰ではありますが・・・・・。
今度長野の松本へ行ったら「グッド小林」に極上のアルプス牛でもおごってもらおう。



記念に御夫婦でパシャリ!

「スイート&リッチなカレーを御馳走様でした。そしてまた時間が出来たら伺いますね。どうぞ日々お元気でお過ごし下さい。あっそうそう、そのハンチングのリフォームするとこ、今度紹介しますね。それじゃぁまた!」

私は再び相棒に火を入れ路上のひととなった。

ドッドッドッドッド~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!


心地よく風を切り裂くこいつとはどうやら永い付き合いになりそうだ!

遅ればせながら、春が来た!
5月の半ばを向かえて、やっとの事で温暖な日々がやって来た。
しかも滅多には貰えない2日間の連休という私にとってはロングバケーション的休日を向かえており、その太陽燦々日和がそれに乗っかるというナイスマッチング。
世界が認める雨男の私にとっては「奇跡」としか言い様が無い。

その奇跡の日、私は早朝4時に目覚めたのです。
老人化して太陽が登るのを五感がキャッチし、そして自然と目が覚めたという訳では決して無い。
ちゃんと目覚まし時計をセットしておいた事実だけは記しておこうかな。
ただ、この薄紫の時間はやはり速過ぎた。
太陽がしっかりと登るのをまったりと待ち続け、それから日課であるジョギングへと取り合えず出掛けたのであります。
気温はぐんぐんと急上昇、天気予報通りに大空はピーピーカンカンに。

そして私は、今年4月、あらたに加わった相棒のシートへと跨がったのであります。

バリバリバリバリバリバリ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!



ナイスな爆音とナイスな重鼓動を五感いっぱいに感じながら、お約束どおりの「十和田湖」へ。なぜだかここに向ってしまうのです。
前世は乙女の銅像を慕う一介の姫マスだったのかもしれない。
そんなこんなでこちらも心地よい春風が湖面を伝いながらあたり一面へと吹き渡っておりました。
コバルトブルーの湖面は陽光を受けてキラキラと眩しい程です。

今回は、以前単独で歩いた事もあるこの十和田湖周遊50キロをゆったりと一周!
高台には依然として高さ2メートル程の雪の壁が「まだまだっ」と元気で頑張っておりました。



帰りの奥入瀬、木漏れ日が路面に溢れんばかりにちりばめられておりました。
いやはや美し過ぎる。そうか、そう言う事か、それだから月曜日だというのにかなりの観光客の方々がいたのか。納得!



途中、腹のすいた私は古くからあるドライブイン「たんぼのちゃや」へと一休み。



そして「ポークカレー」を注文したのであります。
本日、午前4時に目覚めた私は、考えてみればあれから何も口にしてはいなく、貪るようにそれを腹の中へと流し込んだのであります。
「ふ~生き返った!」
食後、マスターとひと言ふた言バイク談義を交わし、うわさに聞いている「八戸直行の信号のない農道」を聞き出す事に成功。
お腹もいっぱいになった私はマスターに「御馳走様」と一言残し、再び相棒へと跨がったのです。
そしてその「農道」へと進路を向けたのであります。

「農道」は最高だった。
行き交う車はサムタイム、信号なんてありゃしない、ゆったりとのんびりと豊かな自然の真只中をひた走る。
あるのはただ真直ぐに伸びた道と光を含んだ風・・・。
ここは再び通ってみたい道となった。

さて明日はどうしようかな・・・・。

第29回八戸うみねこマラソン全国大会が去る5月9日(日)に開催された。
晴天に恵まれ、5800人という制限人数を800人も上回る大人数が集まった。
昨年よりも1000人多い計算になる。

昨年は5キロに初参戦し気持ちの良い汗をかかせてもらった私なのですが、今年はな、な、なんと10キロに挑戦したのであります。
たかだか倍の距離だろうとこの時点では完全になめておりました。
昨年一緒に出場したJINは、膝が痛いだの脳がゆれるだのちょっとした計算が出来ないだのと御託を並べ、今回は断念。
満を持して今回参戦したのは、ここ鳥屋部町では知らない人は知らない岩SUORであります。


9:00 そして大会は始った。
今年のゲストは、99年、世界選手権セビリア大会で銀メダルを獲得した市橋有里さん。
ランニングウェア-のスタイリングといい、おしゃれなヘア-スタイルといい、なかなかキュートな女性アスリートではありませんか。
接点は見出せませんが、彼女の笑顔の為にも私は頑張らなくてはいけません。


なぜか北村弁護士似の甲冑おじさん参上!




少年少女達の笑顔はいつでもどこでも最高に輝いていますね。

「みんな、あの大きな太陽に向ってがんばるんだぞ!」
「おっちゃん・お前もがんばれよ!」
「はい、了解です!」


さぁッいよいよスタートです。
岩SOURは余裕の表情ですね。さすが八戸商業高校陸上部出身ビールっ腹。

そして号砲と共に熱気沸き立つ群衆の渦の中へとスタートをきったのであります。

(約一時間程経過)


やつが、とうとう岩SOURが、軽快な走りで帰ってまいりました。

おおっ、ゴールを目指す激しいまでのその真直ぐな眼差し。
いままで、かつて、決して目にした事のないひた向きな表情。まるで何か得体のしれない者に取り付かれたような戦慄さえ覚えるそのキョンシー的様相。
「もう少しだ、つっ走れ~~~~~!」

この勇猛果敢な岩SOURの後に続いて、何とか私も無事ゴールする事に成功。
私としては、いつものジョギングで走っているペースの2倍もあるスピードでのランに四苦八苦。
心臓も肺も、まだか、まだ着かね~のか、ともがき苦しんでおりました。
その10キロという距離の長い事長い事、いつまでたっても先が掴みきれない始末。
それでもなんとか気力をふり絞って必死のゴール、最高にほっとした瞬間でした。
そして、生きて帰れて良かった良かった、といったところです。

「さて、来年はハーフでも挑戦してみますか!」なんちゃって。(性懲りも無く)


応援に来て下さった大野家の皆様、おかげさまで力強く走りきる事が出来ました。ありがとうございます。
そして打ち上げホームパーティーでは心温まる数々の手料理を振る舞って頂き大変感謝しております。
(すかさずビールに手が伸びてしまい写真を撮る事をすっかり忘れておりました)
あのタラッポの天麩羅はおそらく日本一だと私は確信しております。

来年は、サバンナ生まれで驚異の視力3.0のJINも復帰し→
視力0.1の岩SOUR共々またまた頑張る所存であります!
(ちなみに私の視力は1.5になります。)


ついに届いた。

ひと月程前、雑誌「ビギン」をちらりほらりいたずらにページをめくっているとあるページで手が止まった。
「えっなに・・・・・・」
刺激的衝撃が私の胸をつらぬいた。
「それはやさしいく・・それは柔らかく・・そしてすばらしい!」
これはぜひとも手にいれなくてはならない。
そう思った私は早速注文したのであります。

それは注文を受けてからひとつひとつ作り上げると言う事で、言わば上がり待ち。
そこで私は、じっくりと待つ事にしたのであります。

それはついに上がったのです。
私自身すっかりと忘れ去っていた今、ひょっこりと届いたのであります。



「うわぁ~~~~~~~~~~~お!」

おっとっと、申し訳ありません、我を忘れて取り乱してしまいました。
あまりにもリアルな佇まいに頭の中がクラクラッと歪んでしまったようです。
言っておきますが私、「変態」ではないと思ってはおります、悪しからず。

陶磁器作家の冬樹氏がひとつひとつ丁寧にこしらえた傑作であります。
「ある偉大な努力の結晶」
この作品は一体成形、つまり部分部分のつなぎ目が無い美しい仕上がりになっています。
本来は「「徳利」らしいのですが私は一輪挿しとして使いたいですね。
う~~~~ん、キュートだ。



「うわぁ~~~~~~~~~~~お!」

あっ再びの雄叫び、これまた失礼致しました!
こちらのキューティーハニ-は一輪挿しとしてのものでしたのでそのまま一輪挿しとしてあります。
さりげなく何かを見つめる表情がたまりませんね。
さすが芸術作品。
再度申し上げますが私は「健全」であります。

さぁ、次はどんな花をこの妖精達に飾ってあげましょうか・・・楽しみです。


そしてとうとう恒例の街っ子桜が満開を迎えました。

昨年は4月23日だったのですが今年は4月の30日ですから昨年よりは1週間も遅くなってしまったようです。
まぁこの天候不順では仕方のない事でしょう。
いつもながら「力強い生命力」がみなぎっています。

いや~~~ほんとに花とは芸術的で素晴らしいものですね。
それでは、さよなら、さよなら、さよなら!


ここのところ休日と言えば雨、雨、雨。
曇天が当たり前のようになっていた私だが・・・今日はちがった。
先日の天気予報ではやはり雨の予報が出ていたのだが、どいやら思いのほか風が強く流れていた模様で一足早くその雨は過ぎ去っていったようだ。

小型船舶達も春の陽を浴び穏やかに波間に漂っている。
こんなにすばらしい好天が当たったのは本当に久し振りだ。




そこで、数日前にテレビで情報を得ていた「第40回緑化まつり」へと向ってみたのです。
なぜなら、最近「木」が好きなのです。
広大な市営長根運動場の大半を利用した大きな会場でありました。
平日ながら来客数の多い事。花や樹木もどんどん売れている様子。



多数の業者が参加しており、それぞれがこのような手の込んだ庭園を作っては販売をしている。
こんな素晴らしい景色を見せられてはやはり「木」の1本、「花」の1本も欲しくなるっつ~もんです。
私もついついこの雰囲気にほだされ「これください!」なんて発してしまったのでありました。
(支払いは・・・今財布のなかにある全部・・・今日のランチはなし・・・か)

指差したのはまたしても「ハナミズキ」。
高さ3メートル程のしっかりと成長したやつ、後日、植えてもらうのが楽しみだ。

久し振りにこんな晴天に恵まれ光合成によって少し背でも伸びないかな~なんてバカげたことが頭を過った、うららかで脳天気な私なのでありました。
「わが家の歴史」フジTV、PM9:00~を3夜連続で見た。
いや~引き付けられた、いやいや、2話目からは居ても立ってもいられずに仕事が終わったら速攻で帰宅しテレビの前に陣どった。
釘付けとはこの事だ。

波乱万丈過ぎるこの家族、有り得ない話ではあるのだが、これがまたもっともらしく構成され続け、挙句の果てにはにくらしい程に昭和人の心をもてあそぶ。

三谷幸喜恐るべし。

エンドロールに流れる中嶋みゆきの曲「時代」

そんな~時代もあったねと~いつか笑える日も来るさ~

当時すでにロックに目覚めていた私は全く聞き流してた曲だった。
それが今になって耳にした瞬間に懐かしくて懐かしくてもうどうしようもない。
翌日早々に買いに行ったのであります。

休日、そのCDをカーオーディオにさりげなく挿入
う~~~んイイ感じだ、気分も高揚して来る。
私はそのまま国道4号線上の人となり久し振りに盛岡方面へと向ったのでありました。


なぜか、「石川啄木記念館」
昭和の音楽渦巻く車内でやや童心に帰っていた私は何を思ったのか渋民にあるここ啄木記念館へと引き寄せられてしまったのであります。
私の深層部分に眠る文学的欲求がそうさせたのか、はたまた単なる気紛れか、中に入ってみなければわかりません。


「こんにちは、この中って写真撮ってもいいんですか?」
「ダメダメ、そこの門まではいいけどそれ以降はダメですよ。あと、庭の方もよかったら見てってね!」
あっけない駄目だし。

館内を一通り見学させてもらい、私はあっさりとここを後にした。庭の方もあいにくの雨で断念。
考えてみれば小学生の頃に教科書で彼の詩をひとつふたつ読んだ事があるだけでその他はなにも知らない、勉強不足にも程があった。
やれやれ、もう少し彼の本を読んでから再び訪れてみましょう。

ここで小腹のすいた私は以前バイクで訪れた事のあるロードサイドレストラン「ヴィラ」へと向った。
ここからは案外近い。昼時をやや過ぎてはいたが相変わらずの混みよう。


本日のランチ「きのこのハンバーグ・アスパラ添え」
イタリアンブレンドコーヒーがついて1050円。やはり手抜き無しの美しい仕上がり。
味もいい塩梅で満足満足。遠方での環境の変化と食事が楽しい。

再び車内に音楽が流れる。

当時なにげなく聞き流していた曲達が、今頃になって鮮明に過去を呼び起こしてくれる。
それとなく聞き流していた分、それとなく自然にその時代を感じさせてくれる。
音楽にはそんな力が宿っている。


外気は肌寒く小雨が降り続く一日だったが、車内は陽のあたる別な世界へとタイムスリップしていた。


「わが家の歴史」、もしDVDが出たら買っちゃおうかな~!