◆ T-bird BLOG ◆

808

思い起こせば高校2年の夏の頃、バイクの免許を取った。
1年生の時にさっさと免許を取りに行っていればそのまま大型二輪でいけたのだが、残念な事に、この年から道交法の法改正があり、私の免許は中型二輪となってしまった。
悔やまれるが法治国家に在籍する身、こうなってはもうどうしようもない。
コラム第31話「初めてのマイバイク」参照
ひとつラッキーな事は、私の通う高校はバイク通学が許されていた事だ。
そこで通学用に400CC以下のバイクを探さなくてはならない。
あれこれと中型バイクを物色中に、ドンズバ・ストライク、私のハートをギュッと鷲掴みにしたバイクが姿を表した。
真っ赤なソリッドタンクにクロームメッキ仕上げの4IN1ビューティフルマフラー。
そう、それはホンダ・ヨンフォワーであった。
この時どんなにこのフォーインワンに恋いこがれたかは、ほんの一言ニ言では語れない。
ただ、高校生がおいそれと買える値段ではない事は誰にでも解る。
そうです、そうなのです。経済的葛藤の末に、あきらめたのです。

この後の人生の道程の中でも、幾度か道路をかっ飛ぶヨンフォアを目撃した事はあったが、雲の上の存在としての認識は消える事はなかった。
そして徐々に影が薄くなり、そして忘れさって行ったのであります。

それが、先日、突然



そのトータルビューティーな姿がひょっこりと出現したのであります!



レストアの行き届いた車体はネジの1本1本までピカピカに磨き込まれ、サビなんてものはどこにもみあたらない。
しかも、私の憧れだったレッドカラー。少なくとも35年は経っている筈だが、なんのその。
21世紀になって再会してみても何の遜色もない。
オーナーも私と同年代だった。やはり彼も学生時代に憧れてはいたものの手に入れる事が出来なかった。
そして今になって、やや薄汚れた姿で再会、一念発起し、2年の歳月をかけて磨きあげたそうであります。
その根気よさ、恐れ入りました。天晴れ!




それにしても時代を超えて、美しい!
どうぞ後生大事にしてやって下さいませ。


近頃はS/Sの展示会が頻繁に行なわれている。
場所はやはり都内が多い。
代々木上原や都立大など、やや郊外で離れた所ではないかぎり、千駄ヶ谷から原宿、原宿から青山界隈を過ぎて渋谷、その渋谷から代官山を通って恵比寿と、この一連の流れくらいだとほとんど歩く。
歩いて回った方が時間短縮になる。多い時はそれこそ8ケ所から10ケ所になる時もある。過酷なサバイバルなのである。


あるメーカーさんに寄ると懐かしい、見知った顔があった。
長野県は松本市の「グッドストア」西浦君。
昨年松本市に遊びに行った時以来だからかれこれ1年振りになる。相変わらずイイ男ではないか。
松本のみんなは元気でやっているのか、懐かしくひとりひとりの顔が浮ぶ。
「ところで君のボスは元気でやってんの?」
私は彼の上司について聞いてみた。
「そう言えば、最近・・ここ1ヵ月見てないすね・・何やってんだろ、いつも」
彼はそんな不可解な事を言っていた。
そうか、きっとあれだろう、どっぷりとはまっているあれに決まっている。
そろそろ70は切ったのかな。切っただろうな、これだけやっていれば切っていない訳がないもんな。切っていなければおかしいもんな。

西浦君と別れ、私は恵比寿に向う為に渋谷駅へと向った。今回はその中間に仕事がなかったので山手線で向う事にした。
相変わらずの人込みの中をくぐりぬけながらホームへと到達。
そのままホームへと滑り込んできた電車に乗った。
込んでいる時は私は扉の脇に陣どる。さっとその扉の脇へと乗り込んで一息。
その後も次から次へと乗客が乗り込んで来る。その中のひとりに何処かで見た顔があった。
まさか?と思ったがどう見ても奴だ。
今年のお盆に八戸に里帰りして新しい家族と一緒に店に寄ってくれた「山ちゃん」だ。(8/17のブログ参照)
私は、この場を過ぎ去ろうとしている彼に大きな声で呼び掛けた。
「山ちゃんーーーーーーー!」



何事かと振り返った山ちゃんは、随分と落着いていた。
「今日はどうしたんですか?」
「どうしたんですかって、出張に決まってんじゃないか。そんなことよりすごい偶然だな-こんな事ってあるんだねーすごいなー」
「そうですね」
「そうですねって、もう少しこう、なんて言うの、感動ってないの、ここ渋谷だよ」
私はかなり興奮しながら言葉を発した。
「まあ、そうですね、くされ縁って言うか、そんな感じですね」
最後までやけに落着いた返答の山ちゃんであった。
短く近況を話し合い、そして恵比寿の駅で別れた。

そう言えば、昔、出張先のラスベガスでも知人に会った事があった。
出会うと言う事は世界地図上で針先の点と点がたまたまつながると言う事だ。すごい奇跡ではないか。
これからもどんな所でどんな人達と出会うのだろうか、すごく楽しみになった日であった。

それにしても山ちゃん・・感動が無かったな・・もしかして・・・?



待ちに待った奴らがとうとうやって来た。

どんな姿をしているのか、どんな髪型なのか、どんな奇声を発するのか、どんな我がままを通すのか、どんな臭いをまき散らすのか、軽く笑ってくれるのか、などなど、私にはまったく見当もつかなかったのであります。
あれからどれくらいの日数が経ったのでしょう。
そんな一連の思いも何処かに消え去ってしまっていたある日、奴らは忽然と一家総出で姿を現したのであります。


世界で一番幸せなのは私達なんだろーね、オーラをまき散らしている山端一家の図

どっちが(新太・あらた)でどっちが(元陽・あさひ)なの?

こっちが(新太)であっちが(元陽)ですよ。

はぁはぁ、そっちが(元陽)でこっちが(新太)なんだね、するとそっちが泣けばこっちも泣いて、こっちが泣けばそっちも泣くんだね。

そうそう、そっちもこっちも泣くと、もうわたちも泣いちゃいますよ。


こっちがあいつで・・・・

こっちがあいつ・・・・・

えっ、どっちがどっちだ?
しかも寝ていて増々どっちがどっちなのか解らない。

山端一家は10分もいただろうか、そろそろ自宅へと戻る時間らしくさっさと車へと乗り込んだのです。
車の後部座席には真新しいベビーシートがふたつ。


こっちを先にセットして・・・

次にこっちをセット・・・・・

ん、こっちがあいつでそっちがこいつか・・・それではお前は誰だ。

最後の最後までこの兄弟は眠っていたのです。
とうとう帰る時まで目をあけてはくれませんでした。かわいいのは重々解ります。
だけど、どっちが(新太)でどっちが(元陽)なのかまったく解らなかったのであります。
今、改めて写真を見直してもぜんぜん解りません。

何年かしてやっと特徴的な部分を見つけて、それを見分けるポイントに出来る様になると良いのですが、ただ、その頃には私のボケの方が進行していて、やはりどちらがどちらか見分けられないといった珍事にならなければとやや情緒不安定な私なのでありました。

HAVE A NICE LIFE !


AM5:30

ピッピッピッピッ・・・・・・

目覚まし時計の乾いた発信音が起動前の鼓膜を揺り動かし、うっすらと目が覚めた。
なんの違和感も無い。
なぜなら、毎日の事だから。

未だ薄ぐらいが、どうやら雨ではないようだ。
早速、ナイロンのオーバーパンツとパーカーに着替え玄関の扉を開けた。

まずは首を前後左右に屈伸させ全身をリラックスさせてから準備運動に入る。
次に上半身を前側に倒す前屈運動に入った、そんな時だった。
私の足元に何か得体のしれない無気味なものがあるのに気が付いた。



「なんじゃっこれは?」



見るからに気持の悪い物体ではありませんか。ミル貝の一種か?
なんて思ってもみたのですがここは草地、海ではありませんからそれは違うでしょう。
根元の方に何やらベイジュ色の袋状のものがあり、どうやらそれからニョキニョキと伸びている様子。
これはキノコの一種か?うん、そうかもしれない。

キノコと言えば秋。
秋と言えば強引でありますが「新ソバ」
新ソバと言えば、やはり「おきな」じゃありませんか。



早速、
ズズズズズズズズズズズ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!

そんな、ことさら何も無い、平穏そのものの、秋の一日でございました。

まだまだ依然として昼は暖かい。
10月だと言うのにいったいどうしたのでしょう。
私は未だにTシャツで仕事をしている始末、洋服屋だと言うのに、、、。

しかし、季節は完全に秋。
草花は私と違って何ぶん賢いもので、しっかりと季節を捕え、そして全身を変化させています。
草花はどこで季節の変化を察知するのでしょうか、不思議でなりません。



今年で3年目を向かえた庭の仲間達。(山桜は2年目)
それぞれがこの秋を体感し、それぞれが自分なりの冬支度に入っている様子。



山桜は春から枝がぐんぐんと伸びて横に成長しました。
葉っぱはほぼ落ちてしまいましたが、また来年咲くだろう白く可憐な花が楽しみです。



黄金ケヤキは今年の冬に突然枯れてしまい、かなり焦りましたが、春先、その根元から小さな芽が出て来ては成長を続け、今では以前の2倍にまで背丈が伸びました。
しかしこのままでは盆栽としてかっこいいものではありませんね。来春あたりには私の手によるカットを考えています。
その為には少し勉強しなくてはなりませんね。



ハゼの木は今年もきれいな真紅に色づいてくれました。
今春、水やりがやや多くなってしまって、1度弱りかけたのですが、なんとか持ちこたえてくれて、ほっとしているところです。
水やりのタイミングはそれぞれが違うので、未だにこれといった確信のもてないありさまで、悪戦苦闘中といったところです。
それでも、よくみんな枯れずに頑張っていますね~大したものです。

さあっ、来春はとうとう植え替えの時を向かえます。

「山野草は・・・うちではちょっと植え変えは出来ないですね~土もないし~」

と、2軒の花屋さんに断わられました。
と言う事は、必然的にこの私、不器用ながら私がやらなくてはなりません。
胸中不安が渦巻いておりますが・・・そうだ、やつが、やつがいる。
やつならきっとやってくれるはずだ!



よろしく、東・京一朗!

君はいったいどっから飛び出してくるんだい、相変わらずエキセントリックな男だ!
確か君は代々木の高校に在学中、鈍く光る剣山と矢がすりの着物と針をさす足のしびれに憧れ、華道部に在籍していたはずだったね。
そこでつちかった頼り無い知識を私に分けてくれないか。君だけが頼りだ・・・・・・・?

いや、やっぱ、自分でやろっ。
岩SOURが変な物を履いてきた。
どう見ても変だ。
私の中ではありえない履物だ。

それは5本指のスニーカー。
確かに5本指のソックスなら今ではポピュラーな代物ではあるのだが、スニーカーってのはどうなんだろう。かなりの違和感が付きまとう。

次の日、また岩SOURがそれを履いて来た。
来店するたびにそれを履いている。来店するたびにそれに履き替えている訳ではないだろうから、おそらく毎日それを履いているのだろうと推察できる。
いいのだろうか?

「それってどうなの?」

「これ最高っすよ。これを履いて歩くと、人間本来の歩き方になるって知ってた?
普通のスニーカーや靴なんかで歩く時って、踵(かかと)から地面につくでしょ。これだと痛くてそれが出来ないの、自然に足のウラ全体を使って歩くようになるよ。小指ってどう?ちゃんと動く?」

そう言われてみれば、私の小指は薬指に寄り添ったままぴくりとも動こうとしない。

「口だけはひん曲がるけど小指の方はいくら頑張っても動かないな」

「でしょ、ところが、これを履くと動くようになるんだよね~!」

そう言うと、次ぎに岩SOURは「あ~忙しい忙しい」と発し、スキップをしながら帰っていった。
それにしても美しいスキップだ。しかしやつはいったい何しに来たのだろう?またこれから「夕暮れ市」に「ゆで卵」、もしくは「味付こんにゃく」でも買いに行くのかもしれないな。

後日、誕生日も今は昔となったとある昼下がり。
岩SOURから荷物が届いた。





そう、例の奴が。
私の誕生日に、一度経験してみろと言う事で、岩SOUR夫妻が買ってくれたのであります。
「これはこれは、ありがとうございます。ついでにソックスもお願いしますよ」

早速履いてみようとチャレンジ。
だが、これがなかなか履けないのです。簡単ではないのです。指が広がらずにまったく履けないのです。
汗し苦闘する事20分、やっとの事で履けた頃にはぐったりと倦怠感が全身を包んでおりました。


どうです、この見事なまでの艶かしさ。
なんだか足指1本1本に力がみなぎる感じ。やつが言ってたように、これっていいかもしれない。
歩いているとまだ変な感じだが、慣れると全部の指を自在に動かす事ができるようになるかもしれない。

「ありがとう、岩SOUR、ありがとう、岩SOUR女房」

来年の「うみねこマラソン」、手加減はしませんよ!
酷暑のこの夏をどうにかやり過ごし、やっとの事で過しやすい季節がやって来ました。
今年はあまりにも暑過ぎたために、バイクをもっている事もすっかりと忘れ、エアコンのきいた車での移動がほとんどでした。
あなたはバイカー?と聞かれたら・・・バイカーって何?と聞き返したことでしょう。

夕暮れの気温がやや下がり始めたこの頃、しばらくぶりにバイクに跨がった次第です。
今回は今年の4月に来た新しい相棒の方にしました。なぜなら、あと少しで2000キロを突き抜ける為です。
そしてその2000キロを超えたところでオイル交換を済ませたかったのです。
新しいオイルを注ぎ込んでやりたかったのです。

私は性懲りもなくまたまた十和田湖方面へと向いました。しかし今回はいつものコースではなく山越え、迷ケ平経由を選んだのでした。

その山越えの途中、なんとメーターのくり出す数字は「1987」を表示したのです。
そうです、ティーバードの創業年です。なんてことはない数字なのですが、私にとっては想い出のつまった、涙なしではかたり尽くせない数字なのであります。
そこで強硬に停車し、そこでパチリと頂いた訳です。



迷ケ平から十和田湖に向う下り急勾配の道は狭くそして苔むしているところがほとんどです。
今年はなぜか工事も多く慎重に慎重に、まるで道に迷った小ヒツジのように小さくそして震えながら下ったのでありました。

相変わらず十和田湖は美しく、深く、そしてドッカ~ンと存在していました。
いつきても心和む風景です。気温も街よりかなり低い。


渓流をすり抜け、しばらく走っていると真新しい食堂が姿を表しました。
いつもなら軽くスルーするのですが、あの立ち並ぶ旗の一枚にある気になる文字がぽつり。
「バラ焼きバーガー」
バラ焼きって、例の十和田B級グルメのバラ焼きの事に違いないのかもしれない。それをハンバーガーにしたのか?
ふとそう思った私はそのままその店へとインしたのでありました。

ジャジャ~~ン、バ・ラ・焼・き・バー・ガーーー(ドラエモン風言い回し)
早速がぶりといかせてもらいました。
うん、まあまあうまい、うん、まあまあいける・・・だけど、量が・・・。
やはりバラ焼きは定食でいきたいな~って、わんぱくな私は思った。

途中、ドライブインでポークカレーを食して帰った、食欲の秋な、私なのでした。
半年振りの「たま空」、ここのところの猛暑で空を見上げる勇気がなかった。
灼熱の太陽光が容赦なく眼球を突き刺し、ついでに熱波を全身に浴びせかける。
これではさすがのサイヤ人もたまったものではない。
一度、早朝のジョギング中にめまい&吐き気&恋わずらいが私を襲い、急遽涼しい所に避難した事があった。危ない危ない!

それでも9月に入ったこの頃、やっと気温も落ち着きを見せ空にも高さが表れた。
この日も朝のジョギングを無事終え、大きな深呼吸をひとつ、そして天上界へと吐き出した。
真っ青な空が心地よい、が、それよりも「電柱」が力強く見えた。

空の大きさなどものともせずにしっかりと突き立っている姿が頼もしい。
あちらこちらから忍び寄る数々の電線をがっちりと押さえ込み、そしてびくともしない。
なんか・・・・かっこいい!
どれどれ、他のはどんな感じなのだろうと興味津々。そのまま周囲を回ってみたのです。

うみネコとのコラボレーション。
このシチュエーションの気持良さ。うみネコにはすでに地平線の向こう側までを網羅し情報を分析している様子。
どう動くかが楽しみだ、が、ずっとこのままだった。

まるで空にとどきそうな勢いの木製の十字架と化したその姿。
神々しくもあり、また、駐車禁止でもあります。

久し振りに大きく青い空をゆっくり見ていると、大きな雲の塊がひとつ目に止まった。
遠い昔、亀仙人に習った「カメハメ波」を使ってみたくなった。
若い頃であれば江ノ島くらいの大きさの雲くらいは跡形もなく吹っ飛ばしたものだが、果たして、現在はどうなのだろう?
かれこれ20年振りになるか・・どれどれ・・っと、

「カ~~メ~~ハ~~メ~~波~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」


「プシュ~~~~~~~~~~~ポワン!」

雲のまん中を突っ切ったはいいが、力無い気の弾丸はちょっとばかり下の辺で止まっ
てしまった。これが今の現状か・・・・とがっくり。
随分と年をとってしまったものだと、時の流れを恨む。
昔ならあんな程度の雲のかたまりなんて影も形も無くなっていたものなのに・・。

だけど、まぁいっか・・・・空がきれいだから!

ついに・A2Cんとこに・待望のベイビー誕生・おめでとううううううううう!
しかも双子だし、まだ御対面はしてないけど、さぞかわいい事だろうね~。
A2Cはべろべろと二人の事舐めまくってんだろうな~それでサラサに怒られてって感じかな。
あいつの親バカっぷりは既に始ってるから恐いところだ。

ちょうど二ヶ月くらい前からA2Cにねだられていたベビーカーついに登場!

SWIVEL WHEEL STROLLER [SAFALI 2]

このデザインは優れ物だ。
取り合えずはツイン用でなくてはならない、それが必須条件となる。そして軽くて丈夫ときたもんだ。
しかも三輪だから取り回しが楽で、方向転換なんかはお茶の子さいさい、くるりと回転なんかも何の苦もない。
そしてこの機種は押してランニングもできる様な設計になっているらしい。多分・・・走らないとは思うけどね。
これはコラムにも時々登場してもらっている「マッスル」に頼んでおいたものだった。

このベビーカーをわざわざ届けに親子三人で来てくれたのでした、お父さんは仕事で来れなかったね。
「ありがとう、感謝していますよ」

このベビー用品セットがマッスル親子からA2Cベイビー達へのプレゼント。
カラフルなほ乳ビンからウエアーまでしっかりと揃っておりました。このラッピングがかわいいね、勉強になる。
それはそうと、マッスルの息子達の大きくなった事。
兄のルイスは確か今月からハイスクールへ、弟のシンちゃんはジュニアハイスクールへと進むらしい。
ルイスは既に身長180cmはゆうにこえている。お父さんが確か200cmあったから、2年もすればそこまで到達するだろうね。
現在フットボールチームのスター選手らしいからな~これからがまた楽しみだね。
そうだ、3年前の写真がどこかにあったはずだ・・・・・おおっあったあった!

ひぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~3年前、岩手県にある「ケンジワールド」に一緒に行った頃はこんなに小さかったんだね。成長~早や!

待てよ、そう言えばA2Cだって188cmはあるから、この年頃には間違い無く双子の少年達[新太(アラタ)と元陽(アサヒ)]は180cmをこえているはずだ。
こちらもまた将来が楽しみになって来た。

そうなれば・・・私もそろそろ身長の伸びる体操を始めなければいけない、将来やつらと目と目を合わせて話をする為に。
いやはやこの暑さはどうしたものか、東京出張はまるで地獄の釜の中にいるようだ。
電車から降りると全身熱波に包み込まれては意識がうすれ、あたりの景色がぼやけて見えてしまう程だ。
気丈に目的地へと進まなければならない。

こんな時こそ、しっかりと栄養を取らなければいけないのです。
昨年から、時間があったら一度は行ってみたいと思っていた場所に、今回ようやく足を運ぶ事が出来たのです。

「俺のハンバーグ・山本」恵比寿店
テレビや雑誌などで幅広く紹介されていて、ハンバーグ好きにはたまらない、まるで聖地の様に映っておりました。
そしてついにその扉を開けたので・・・ありました。
落着いた内装や、無造作に配置された北欧のビンテージ家具がいい趣味です。

まずは「特製野菜ジュース」が登場。
中身の種類を優しく説明されて、その場ではしっかりと覚えていたのですが、今現在1個も覚えていません。
なんたる健忘能力。だけど、うまかったのは確かです。

初めての注文はやはり「チーズハンバーグ」にしました。
単なる「ハンバーグ」から始めても良かったのですが、やはりチーズはかかせないでしょ、と言う事でガツンと行っちゃいました。
この光り輝くデミがからんだハンバーグのうまい事うまい事、初体験にもかかわらず私は御飯のお代わりをしてしまった次第です。
まぁ、お代わり自由ですからね。見ているとほとんどの方々がお代わりしていました~納得の味です。

ただ、この暑さ、半端ない汗が全身を激流のごとく流れまくっておりました。

いや~うまかった、ごちそうさまでした。次回は、かなりの皆様が注文しておりました「グラタン皿に入っていた奴」を食してみたいと思っておりますよ。
(長野県は松本市のハンバーグ大好き三兄弟はすでに行ってるかもね!)


アメリカ出張ではいつも食事を御一緒する「ビーグッド」代表である山田氏とその部下である東京一朗氏、今回「俺ハン」トゥギャザーです。
「いつも御世話になりっぱなしで、本当にありがとうございます」

「ティーボーンステーキ」はもう誘いませんが「俺ハン」はまた行きましょうね!
酷暑の東京出張を無事終えて深夜に帰宅。
心身共に疲れ果てていた私はシャワーを浴びただけでバタンキュー!

翌日、すっかりと体力も回復し、よいこらしょっと仕事へと向った。

すると・・・7月頃一度このブログに登場してもらったマルちゃんからなにやら荷物が届いていた。
「お盆の間、長崎の実家に帰っておりまして、私が幼少の頃になれ親しんだお菓子がそこにはありました。どうぞ皆様で御賞味くださいませ」
とある。幼い頃と言う懐古的フレーズに興味津々な私は早速その封をといたのであります。

「文明堂・かすてらボーロ」
長崎・異国文化・ハイカラ趣味・ロマン漂うネーミング。
どれどれと、私は袋のなかからひとつの包みを取り出したのです。

なんて可愛いお菓子だ。飾りっ気はないが素朴で一途な美しさがある。

「ガブリッ!」
もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「うめ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~これ!」
噛めば噛む程奥深い甘味が咽の奥の上の方に広がってきてくっつく。
一枚目はみ口で無くなった。
どれどれともう一枚、またもう一枚、そうこうしているうちに、ひと袋が空いてしまった。
このうまさは本物だ。本物だからこそ長い年月こうやって語り継がれるように作り続けられているのだ。感動した。
マルちゃん遠い長崎からありがとう、そして、また、よろしく!

その翌日、控え室のテーブルの上を見ると何だかいろいろとのっている。

シュビドゥビまきちゃんがもってきた「カキ」のような「トマト」


岩SOURがくれたというミスタードーナツの袋に入った「ニンニク」


ヒデ(コラムではH)が買ってきてくれた「津軽手焼きせんべい」のいろいろ。

そして取りは奥ちゃん(コラムではO二号)、



果物大国山梨の果汁溢れ出る巨大モモ。すごい迫力だ。


私のいないわずかの間にこれ程の贈り物が届いていた。
いったいどうしたと言うのだろうこの集中型は・・・お盆だったし、もしかしてこれって私へのお供え?
「おいおいっ、私は未だなんとか生きているぞ~!」って、この場をかりて「ありがとう」

さあっ、どれからやっつけようかな!

お盆も過ぎた、とある午後、私は祖母の墓参りへと向った。
先祖代々が眠る菩提寺は静けさの中にある。つい先日まではさぞ多くの方々で賑わっていたに違いない境内。
おおくの花々があたり一面の墓石を華やかなものへと変えている。

長い歴史を感じ取るには十分な存在感と装飾の美しい門です。
私はこの写真を撮りながらこの立派な門をくぐって中の方へと進んでいったのです、
するとその先に年配の男性ひとりと年配の女性がふたり、中にある樹齢300年は経っているだろう大銀杏の下で談笑中。
「その門あるだろ、その立派な門はお釈迦様だけが通る事をゆるされた門なんだよ。だから誰彼が通ってはいけない、そう言う門だ」
「へぇ~そうなんだね、だから私達はこちらの小さな入り口からはいったんだね」
年配グループの声が、たった今、その門をどうどうとくぐって来た私のデリケートな耳を一撃。
果たして、もうくぐってしまった私はどうすれば良いのだ。
いったん戻るか、でもそれはなんだかその老人達に操られているような気分になってしまう、まぁいい、ここはひとつ聞かなかった事にしようではないか、セミの声もこんなに美しいのだし。



本堂へと進んで行くと何だか穏やかな心状になる。空を見上げると青さの中に天女が舞っている。
これ程リラックス出来る空間は他にはないのではないか、とさえ思ってしまう。
祖母の墓に、祖母が生前好きだったはずの「甘酒」と「あずき」の缶詰を御供えし、そして静かに、門はくぐらずに帰って来た私なのでありました。

そうそう、せっかくなので「馬肉ラーメン」に舌鼓、これはうまい!

そして今年のお盆も懐かしい顔が帰ってきてくれました。

山ちゃんは初期の頃の「ハーディー」のメンバー、今ではママ似のかわいい女の子のお父さんに。
「いや~以前持っていたお店権事務所、前の奥さんに全部やっちゃって、今は自宅で設計の仕事をしてるんですよ。またそのうち新しい事務所が欲しいっすね」
「そうか、そうだったのか、じゃぁ今度なんかあれば新しい奥さんにそれらを全部やる事が出来ていいね」
「・・・・・・・・なにを言うかと思えばこのオヤジ、いい加減にして下さいよまったくも~」
「えへへっすまんすまん」

みのる君は中期の頃の「ハーディー」のメンバー。
「昨年(居酒屋)で独立したんですよ。場所は湯島、湯島天神のそばなんですよ。橋本さんが先頭切ってあれこれ考えくれていて、バンドのメンバーもみんなここで頑張ってるんですよ。名前は(あおもリ湯島)っていいます。食材はもちろん青森から取り寄せてますよ。ただ、忙しくってバンドの方が・・・・・」
イイ笑顔だ。
厳しい今日この頃、みんな力を合わせて頑張ってくれよ。
「今度、むっつり山ちゃん誘って行ってみようかな!」

O一号こと大森登場、彼は全く超初期の頃のメンバー。私のコラムにもちょくちょく登場してもらっています。
「森ちゃん見ない間に随分小さくなったな~なんなら取り合えずカウンターの上にでも上がっとけよ、ちょっと腹でた?」
「はいはいはい、今朝仙台出てちょうど今八戸に着いたとこです。去年は来れなかったんで今年は家族4人で来たんですよ。これ笹かまのおみやげですどうぞ、みんなでなかよく食べて下さいね。そうそう、これからかみさんの実家に向うので直ぐに出発しますね。こっちいる間に買い物に来ますよ。えへへっこんな時じゃないとなかなか洋服買えないですからね。それじゃ~また」
森ちゃんはそう言うと、さっさと白のハイエースで走り去った。

その後、待てど暮らせど来やしない。
まさか・・・あいつ・・・帰りやがった?
また山登りしようって言われると思って来なかったかな~わかったわかった、もう山登りしようなんて言わないから、よってくれよ、まってるぞ!
だから・写真・無いし。


とうとう今年もやって参りました。

昼間っから宴(うたげ)の始りであります。
沿道にはたくさんの観客が肩を連ね、店の前の駐車場は露天宴会場と化しております。
宴会部長である岩SOURがせんべいの耳を小鉢にザザーッとぶちまけ、それを険しい表情で見守るタクちゃんの図。
すでに彼等は缶ビール3本くらいはやっつけています。
それにしても昨年に増しての豪華な酒の肴ではありませんか。早朝からせっせと手作りして下さった大野家の皆様、また、気のきいた惣菜をたくさんゲットしてきて下さった皆様、本当にありがとうございます。
これがあるからこそ、みんなこんなに笑顔になるのです。










どうですこの満面の笑み達。祭と料理と酒と友情が作り出す、まるでワンダーランドではありませんか。
実に楽しそうだ。ついつい私もこれで飲み過ぎてしまいましたね。

さすが岩SOUR夫妻、最後、しっかりと新種の泥酔ダンスで締めてくれました。
来年もまたこのダンスが見られると思うとワクワクしますね、それでは今回はこれでお開きとさせていただきま~す。


「あっ山車撮るの忘れた!」



名前は「アキ」。
料理店「ハーディーガ-ディーカンパニー」のスタッフとして仕事をしてもらっていた時期があったが、数年前に突然と本格的に料理の修行がしたいと言い出し、そのまま大阪へと旅立っていったのでありました。
あれからどれ位の月日が流れたのだろう、健忘症の私にはもうとっくに指折り数える事はままならなず、考えれば考える程輪郭がぼやけて行く一方だ、そんな時は一時考える事を休みましょう。
そうそう、その「アキ」が突然と店を訪ねて来てくれたのです。

「おお~アキか、アキじゃないか~、いやぁ~元気そうじゃないか、久し振りだな~」

考える間もなく私の口から大きな声が飛び出した。

「エヘヘッこんにちは~、お久し振りで~す。いまだに大阪にいるんだけど、ちょっとだけ休みがもらえたので帰って来たの。やっぱり古里はええね~」

おおっとさりげない大阪弁・・・しかし何年経過してようが、アキはあの頃とちっとも変わってないような気がする。いやいや、気どころか、あの頃のまんまではないか。
ちょっと気取った顔を作ってはいるが、ぜんぜん若い、ぜんぜん年とってない。
もしかして・・・妖怪だったのか・・・お前。

「今日はね、私のお母さんがここに来てみたいって言うから一緒に来たんだよ。」
屈託のない素直な笑顔も変わりない。

「ちょっとあんた、早く紹介しなさいよ」
元気なお母さんの声が後ろで響いた。


「はぁ~い」
振り向きざまにアキの顔がちょっとゆるんだところをキャッチ。
もしかしてお母さん・・・も若い・・・いくつなのだろう、初対面ではあったが私は勇気を持って尋ねてみた。

「お母さんってお幾つなんですか?」

「私っ、私は60才よ」

ひえ~~~~~~~~っ!
とても60才には見えない。決して見えない。動きも軽やかだし。頭の回転も早い。
おそらくアキは遺伝だろう、DNAが若さを保っているのに違いない。降参です。

それはそうと、アキとは不思議な縁がある。あの頃、大阪に旅立った時だった。
大阪市内、あちこち料理屋を探し回って、やっとの事で探し当てた店があった。
そこにはなんと私の知人がいたのである。この偶然には正直驚いた。
そして今回初めて知った事なのだが、前回のブログで紹介した「ラウラ」の三浦氏とは、アキのお兄さんが幼い時からの大親友だったと言う。
どうやら世間には何か目には見えないえにしの糸が張り巡ぐらされているに違いない。
とても凡人には計りしれない・・・ものです。



こうして久し振りに一緒の楽しい時間を過した親子はこの後仲良く家路へとついたのでありました。

「大阪か~~遠いな~~暇が出来たらまた来いよ、みんな待ってるぞ!」

7月17日(土)~7月20(火)の4日間、ラウラ・三浦氏による作品展示会が開催された。
場所はいつものNHKではなく、今回は自身のスタジオ兼ショップにて行なわれた。
これがまた風光明美な環境でうらやましいかぎりだ。

この展示会中にはどうしても時間が取れなかった私は、無理を言って休みを取っていた翌日に出掛けたのであります。
この歴史感溢れる古くからの民家を改造した場所が彼のアトリエ。
裏には川が流れ元気な樹木達が育っております。

休み中にもかかわらず、巨大なティキと共に笑顔で迎えてくれた三浦氏なのでありました。
このフロアーにはセンスの良いハンドメード家具がずらり、そして売約済みのシールもずらり。
やはり展示会に顔を出すのは初日にかぎるね。



隣のガレージには額ものがずらり、今回はネイティブ系の図案が中心になっています。
細かい手作業から生まれた作品はどれもいきいきと輝いております。
そしてそのガレージを過ぎると裏庭へ、おお~そこにはなんと虹のトンネルが・・・粋な演出だ。

うわぁ~庭もかっこいい~思わず感嘆の声がもれてしまった私なのでありました。
家具やオブジェの他に造園もできるとは素晴らしい。ガーデンテーブルにベンチ、そしてガラスブロックのはめ込まれた木製の壁もお手製。

井戸のある風景。
これは60年以上清水を出し続けているらしい。もちろんモーターなどで汲み上げているのではなく、あくまで自然に湧いているのだ。
ひと口いただいたがキリリと冷えてスッキリとした飲みくちだ。
まるで極上辛口の日本酒の味わい、さらりと身体に染み込んでいく感覚は清い証拠だ。数日前もホタルが飛び交ったとの事。
昔、昭和の頃の暑い夏、祖母宅の井戸では定番のスイカをよく冷やしていたものだ。
と、懐かしさが込み上げてきたセンチメンタル的私なのでした。

こう言った良い環境から良いものが生まれて来るのですね。
残念ながら私の気持をグッと引き付けた逸品は既に売約済みになっておりました。
次の展示会は絶対に初日に行こうと心に決めた瞬間でありました。

さあっ今日から「ラウラ貯金」を始めようかな、出会った時の為に!
この日、早朝4時、目覚めた私。
なぜなら目覚まし時計をその時間にセットしておいたから・・・。

かなり前、そうロングロングタイムアゴー、私はなぜか「宅地建物取引き主任者」の資格を取得していたのです。
その頃はまだまだ鉛筆を倒して答えを導き出していたもので、「取り合えず」といった感覚で試験を受けた次第です。
この免許証も運転免許証と同じく、数年に一度といった形で更新の為の講習があるのです。
ただ、運転免許証とちょっとだけ違うのが、その講習時間の長さ。
それは朝の9時から夕方4時までといった過酷な長丁場なのです。

講習は青森市で行なう為、私は6時に八戸を出発。
この日はかなりの靄がかかっており、ライトが無ければとても危険な状態、私の頭の中も未だこんな深みの中であります。
午前8時30分
会場である「ホテル青森」に早めに到着。
この頃にはすっかりと晴れ上がり、大きな空はピーカンに。
こんな気持のいい日に「カンズメ」とは・・・・。

大きな会場には約250人が終結。

配られた参考書を開いた瞬間、善良な私を悪らつな睡魔が襲う。
お茶を飲んでも天井を見あげても、ましてや大きな会場を見渡してみてもなんのその、まぶたに限り無い重力がのしかかる。
必死でまぶたを持ち上げようと試みても非力な私のまぶたはノックアウト寸前。
朦朧とする意識の中、身体が前後にふらつきながらも、何とか午前中をクリアー。
まるでダメージをおったボクサーがゴングに助けられた感じだ。

おお~前回よりもなかなかリッチな弁当ではないか。
さらりとたいらげた、が、私にはちょっと足りない。女の子には丁度いいかもね。

午後は毎回お馴染みの顧問弁護士先生登場
そしていつもの一言
「私はあちこちの顧問を引き受けておりますが、なかでもここ青森県は一番好きなところです。なぜなら、ここはすごい、これだけ長い時間講習を受けながらも、眠る人がひとりもいないですもんね!・・・さあ、それでは始めましょうか」
会場はかるく盛り上がりをみせ、そして講議が始った。

ジョークながら眠るに眠れない状況に追い込まれながらも、地獄の睡魔大王がやってきては軽くいなされた。
もうなにをやっても身体が動かない。まぶたが開かない。首が折れ曲がったままもとには戻らない。

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

記憶は無く、講習は無事終了!


「さらば、ホテル青森よ、5年後また来るよ、たぶん」

なんでだろ、本を開いた瞬間から睡魔が襲ってくる、まるで中学生の頃のまま。
そしてまた、不思議と本を閉じた瞬間からシャキリと目が冴える私なのでありました。



こいつ、なかなかいける!
極めて駄菓子的で素朴な風貌でありながらも、ぱくり頬張ると高級感溢れる上品な甘味が口いっぱいに広がり爽やかな沖縄の黒糖風が鼻孔をくすぐる。
歯応えもそこそこにごくりと飲み込むと咽の奥の上部にまったりと粘るように極上の旨味が残る。
その一連の流れをまた欲っし、直ぐにも次の袋を開けてしまう。

初めてこのお菓子を手にした日、私は数分でひと袋を空にしてしまったのであります。



何処かのスーパーの棚にちょこんとありそうなこのさりげない姿にもぐっと心ひかれるものがある。
裏表紙を覗くとそこにはなんと「熊本」の表示。
そうです、このお菓子ははるばる「熊本」から旅をしてきたのであります。
熊本と言えば九州、九州と言えば沖縄も近い、そこで上質な沖縄産の黒糖を使用する事となったのでしょう。
懐かしい甘さなのですが、うまさプラス新しさも加わったそれにはロマンが溢れておりました。



このむさ苦しく濃い~男ふたり。
ふたりは、とある有名ブランドの敏腕スタッフ。
画面左側は「○ちゃん」長崎市出身東京都在住、画面右側は「チュウ××君」八戸市出身岡山県在住、もちろん住む所は違っても同じ会社、たまたま一緒になっての八戸出張での一場面であります。
この満面の笑みから数日後、○ちゃんからは小洒落た焼き菓子が店へと届き、それには女性スタッフ達が我先にと群がっておりました。
翌日、チュウ××君からこの黒糖菓子が時間差で届いたのであります。
太古の昔から生命を保持して来た私にとって、この素朴な黒糖がビンゴでありました。

食したその日、私はネットで注文したのであります。

しかし、○ちゃんは都内に住んでいるから「洒落た焼き菓子」なのは解るが、岡山在住のチュウ××君はなぜ吉備団子では無く「九州は熊本」のお菓子なのだろう?
微かな疑問が沸き上がった。
しかし、その膨らんだ疑問はある人物の証言によって直ぐにも晴れた。
その証言によれば、彼は住んでいる岡山から夜の博多の街へと足繁く通っているらしいとの事。
そこにはやはり彼にしか解らない、何か黒糖よりも甘美な世界が広がっているに違い無い。
あの無邪気な笑顔と変幻自在なトークを武器に今夜もまた博多の街を大股で闊歩している事だろう。

このお菓子との出会いはそんな煌めく世界のどこか片隅で、と言ったところだろう。



ジャジャ~ン!
発注から数日後、とうとう大量のパックが到着したのであります。
しかししかし、みんなに配ったら残ったのは1パック、これは大事に食わなければいけない。

それにしてもあの「無邪気な笑顔」と言う強力な武器、私もぜひ手に入れたいものだ。

近頃、「ダイ」は店に来ている。
と言うのも、今月で、なっなっなんと16才。
ゴールデンにしてはかなりの高齢になってしまい、やや足腰が弱くなってしまった。
特に後足がふらつき介助なしではまともに歩く事が出来ず、オシッコに行くのもままならない状態。
そこで毎日店に出勤と相成った訳であります。


ティービータイムスのカウンターエリア内。
彼のくつろぎスペースが設置され、まるで昼のワイドショ-でも見ている定年後のおっさんのようなゆったり感。
こうやっていると本当は軽々と歩けるんじゃないの、な~んて思われる程健康体に見えてしまいます。
演技かな・・・?


A2Cの嫁、身重のサラサが遊びに来てくれました。
「おう、サラサ、素っピンか?いやいや元気か?俺なんか元気すぎて毎日体中かゆくてしょうがねー。ちょっと咽のあたりを掻いてくんねーかな」
「なに偉そうに言ってんのジジイのくせに、しょうがないな~この辺かい、ポリポリポリ」
「おお~うまいなサラサ、そうそう、その指の感じなかなかええで~」
「ええで~って、お前いつから関西犬やねん、ハッハッハッハッハーーーーてが」


そろそろオシッコタイムに・・・。
「おねえちゃん達大袈裟だな~そんなにみんなでついて来て、全く邪魔でしょうがないな、おいおいジン、お前はしっかりと俺様の腰を支えとけよ、へらへら笑ってんじゃねーぞ、って、お前、顔が半分しか映ってね~ぞ、残念な奴だ」


「ふぅ~さっぱりした。オシッコのきれもまだまだ若いもんにはまけね~ぞっと」


「おいおいオヤジ、俺の事大事に扱えよ、そんでしっかりと運んでくれよ。だけどそんなへっぴり腰じゃまだまだ修行が足りないな。ぐっと腕にも力を込めて、そうそう、やれば出来るじゃね~か。その調子その調子!落っことすんじゃね~ぞ」


「へっへっへっへ~そんな我がままな俺だけど、まだまだ長生きするよ。みなさん、これからもよろしく!お~いジン、この帽子調子いいじゃね~か、俺にくれよ!お前よりは確実に似合ってるから」
前々回、せっかく時間を掛けて地上へと姿を現したのに、無惨にもたちまちのうちに足蹴にされ、茎からぼろぼろにされてしまった「名も無き草」を記憶している事でしょう。
数週間経った今頃「そう言えば・・・あれからあいつはどうなったかな~」などと私の旺盛な好奇心がメラメラと、まるで「浦見魔太郎」の怨念の炎の様に沸き上がったのであります。
そこで、早速デジカメを片手に殺草未遂事件現場へと駆け付けたのであります。

う~ん、私の記憶が正しければ確かこのあたりだったと思うのだが・・・・。
このあたりには小学校があり、しかもこの歩道は皆さんの通学路、そんな60年代のベトナムよりも危険な場所に存在するにはかなりの困難を伴う訳で、毎日がハラハラドキドキの連続の筈。
こちらからは手も足も出せない訳だから、じっと嵐が無事に過ぎ去るのを待つしか手段が無いのだ。

えっ・・・もしかしてお前?
私は目を疑った。あの無惨な姿からは想像もつかない程に回復している。
また、この数週間、何回も襲って来ただろう小さなスニーカー達ののランダムな攻撃をことごとくかわしてのこの勇姿。お涙ものだ。

それにしてもしっかりと回復したものだ。
あの時の惨劇がまるで嘘のように元気いっぱいに葉をひろげている。
ところで何と言う葉っぱなのだろう?って、そんな野暮な事は言いっこ無しにしよう。
どうせ樹木の名前すらろくに解らないんだから・・・。

「せっかくこの世に生まれたのだから、とことん生きて下さいませ」

名前はあるんだろうけど名も無き草へ、世間的に名も無きおっさんより!
ここのところ晴天が続く。
日誌を読み返すと、なんと18日間ものロングロングピー!
ここまで晴天が続くのはなかなか記憶にはない。

しかし、休日にはバイクでトコトコとあちこち出掛ける私にとっては絶好の天気コンディション。
ナイスなひとときを天から頂いているのであります。
そして近頃、友人などのアドバイスもあり、「農道」をひた走っております。
「農道」、そう、農業人が農業に従事しやすいように設けられた道路。
山野地区に多く設けられており、これがまた風光明美な上にアスファルトがきれい、また見渡す限り真直ぐに伸びていたり、なだらかなカーブが続いていたりと変化にも富んでいるのです。
そしてなによりも一番なのは、信号が全く無いのと他の車などがほとんど走っていない事、まるで自分だけの道路のよう。


八甲田へと向う途中、八戸から十和田湖方面へと向う「農道」
ここは比較的こんな真直ぐな道が開けていて、国道45号線上にある数々の町を通らずに「焼山」あたりまで信号機に会わずに進む事ができます。

そしてそのまま「萱野高原」まで走行し、パシャリ!
ナイスピーカンのおかげでナイスビューをゲット。



こちらは、民話の古里「大野村」へと向う「農道」
こんな見通しの良いところもあるのだが、途中山越えがあり高低差と急カーブが続くところもあり、これもまたトコトコと走る分には面白いのです。


「大野村・道の駅」
奥にはレストランや温泉をはじめ、たくさんの施設が充実していてちょいと寄るにしても良い所だ。
きれいな花と共にパシャリ!


「本日お薦めの行者にんにくラーメンですけど、いかがですか~」
シャキシャキと機敏に立ち働くキュートな彼女の直球勝負。
「あっ、じゃあ、それで」
勢いに押され言われるままにそのラーメンをズッズッズ~~~~~~~!
「ぴりりと辛味のきいたスープに深いコクがある。さすが、おね~ちゃんがすすめるだけの事はあるな~」

こんなんで、休日あちこち走り回っているおかげで、かなり日に焼けてしまった。
走行中にサングラスをしているせいもあり、まるで「逆パンダ」風に目のまわり以外が真っ黒。
これはアスリートの様にも見えますが、残念ながら私服ではかなりのまぬけ顔。
伊達メガネが離せなくなった今日この頃なのでありました。