◆ T-bird BLOG ◆

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翌週、準備万端整えた私はその山のふもとにあった。

あの日、自宅へと辿り着いてから一考、なんやかんやと遠回しに理由をつけては買い物交渉、そのねばり腰にて、ついに交渉成立、なんと数十年振りにスキーをゲットしたのであります。
なんか小学生の頃、初めてスキー板を買ってもらった時のワクワク感を彷彿とさせるムズムズ感が体の芯から湧いて来る。鼻息荒く、嬉しいものです。


(ロシニョール) 私がかつて、そう、小学生の頃に憧れた板であります。
当時はスキー部の、しかもうまい連中しか使ってはいなかった手の届かない雲の上の存在でありました。
あれから数十年、現在はセットで私でも手の届くクラスのやつが存在するではありませんか、早速そいつをゲットしたのであります。
そして、果たして私ごときは、日々練習していたあの幼かった頃のようにうまく滑る事ができるのでしょうか?
期待と不安が渦巻く妄想の世界のなかから、いざ出陣と相成った訳であります。


めざすはちょうどあの山のてっぺんであります。
まあ、その前にすこしだけ練習練習、中腹のなだらかなところで20分程ちょろちょろと滑ったり登ったりしながら感覚を慣らしたのではありますが・・・。


ついに、リフトに揺られてガタンゴトン、じりじりと山のてっぺんへと進みます。


うほーーっ、と声が出る程素晴らしい眺めではありませんか。

私は一気にこの白に輝くゲレンデをなめるように滑り降りたのであります。
なかなか体は覚えているようです、よろめきながらも難無く無事スタート地点まで帰還。
この後は何度も何度も華麗なシュプールを描きまくったのでありました。
めでたしめでたし!
まあ、誰も私の滑る姿を実際に見てはいないのでこんな安易で陳腐な表現で記しておきます。
今のところなんとでも書けますからね。

そして翌日、私の全身はびっくりする程硬直しておりました。久し振りの筋肉痛はやはり半端なものではありませんでした、ギシギシときしむ体をおしてまで、わたくし、仕事へと向ったのは言うまでもありません。(まじめか?)
ゆかいでにぎやかだったあの正月はいつの間にかヒュンヒュンと音速で過ぎ去り、そして、穏やかに流れる束の間、がやってきた。
未だ寒さは厳しいもののほっと一息つける充実の時間。
やっとで巡って来た私の休日、疲れは日本海溝の奥底までにも達する程にどんよりとピークを向かえているものの、こんな時こそボーっと自宅で過して一日を終わらせてしまう訳には行かない。
例の元日の大失態を取り戻す為にも何処かに向かわねば!と思案。
しかし夏ならともかく、この厳寒期にいったいどこへ向えば大当たりなの?か皆目見当もつかず、取り合えず車にのっちゃえっと言う事で・・・・ギッギッ・・バタンッ!

最近、時々、密かに、そっと聞いている70年代ヒットパレードを低音量で車内にちりばめ、全身の血管を圧迫している血圧もやや低めに設定、前後左右の車両達の流れのなかに自然体的に身を置く。
心地よい、先を考える事も無く心地よい。
そんな浮遊空間、はっきりとした輪郭をもたない70年代のつまらなくも切なくほのかな記憶が次々とよみがえり、そしてまたさっぱりと後方に走り去って行く。
手で触れる事の出来ない漠然としたものだが、それらはゆるぎなくそこにある、実に心地よい!
そうこうしているうちにどこかを走行中。

この真直ぐな道はどこへとつづくのだろう?はるか過ぎて先がまったく掴めない、が、うつくしい道だ。
私はしばし車を止めて生温いコーヒーをひとくち・・・ゴクッ。

視線をこの道の左側に転じるとそこにはちいさなスキー場がひとつ。
ごま粒ほどに見えるたくさんの人達が気持良さそうにそれぞれのシュプールを描いている。むっむっむっ!

「そうだ、スキーでもはじめてみようか、せっかくの冬なのだから・・・」

わずかながら冬の楽しみがひとつひらめいた、まだまだ寒すぎる初春の青森県なのでありました。
昨年の年越し、久し振りに、そう約20年振りくらいでかの紅白歌合戦を拝見。
これがまた懐かしいのなんのってもう大変、気分高揚飲みなれない日本酒が進む進む。
最後の方は記憶喪失、何時に寝たのかもやはり皆目見当つかず。

元日は早朝からまずはジョギングをしてから元朝参りにでも行こうと決めていたのですが、目が覚めたのがなんとお昼過ぎといった大失態、これだけでも大きなダメージなのですが、しかししかしここからがまた一大事、なんと吐き気満載吐きまくりん。
一息ついた頃にはすでに夕暮れ。貴重な元日ももはや終盤。精神的にガクッと落ち込んだ龍年初日でありました。
それでも元朝参りだけはと、トコトコと出掛けた次第であります。

毎年恒例の蕪島神社に向ったのですが、ここでも再び驚異の吐き気が・・・このかなり遠目ショットでの撮影のみにて断念。
トコトコとそのまま自宅に帰ったのでありました。

そして本日早起き



ばっちりと新年3番目の日の出をキャッチして参りました。
皆様の御健康とますますの御繁栄、そしてまた震災からの復興を心から願う次第であります。
私達も新たな気持で頑張って行くつもりでおります、本年もどうぞよろしく御願い致します。
年の瀬もたっぷりと深まった最終の休日。
私は、あの惨劇から見事に復興を遂げた「漁港ストアー」へと向いました。



震災前となんら変わらないその活気溢れる姿にホッとし、またその力強さに感動であります。
新しくなったピッカピカの食券販売機に小銭をぽとり。

私は大好物の野菜天ソバを注文、そしてタマゴとダイコンのおでんを奮発したのであります。
これがまたうまいのなんのって、バキュー-ーンであります。
最後のつゆまで完食。

店内もラムネコーナーから大漁旗、そしてまたど演歌大音量とほんと懐かしさ全開でありまして満足満足・・・・大満足であります。

「ごちそうさまでーーーーーーす!」

私達もこの迫力、気力での努力をまねてぜひがんばりたいと思います。

年末年始のご案内

2011年
12月31日(土) 午後5時までの営業となります。

2012年
1月2日(月) オープンは午前11時 初売りとなります。
        恒例の福袋の方もしっかりと準備万端取り揃えてお待ちいたしてお待ち致しております。

1月3日(火) オープンは午前11時30分 通常営業となります。

2011年は忘れる事の出来ない厳しい年となりましたが、皆様には大変に御世話になりこうして営業する事が出来てきました。本当にありがとうございました。
2012年度は心機一転、新しいブランドも交えてしっかりと頑張って行きたいと考えております。
これからもどうぞよろしく御願い致します。

ティーバードスタッフ一同


八戸市中心街にそびえたつ「ポータルミュージアム・はっち」。
極めて近代的かつ壮麗でいてアーバンなこの建築物は昨年オープンしたばかり。
様々なイベント事が隙間なく行なわれている、市民の憩いの場としての地位を確立しつつあるミュージアムホールであります。
それにしてもここの一画だけは群を抜いて新しい景観です。

そして今回、私は初めてこの「はっち」の玄関をくぐり抜けてその内部に足を踏み入れたのであります。
なぜかと言えば、それは、えんぶり和紙人形作家である高橋寛子さんの写真展があると言う情報を頂き、それはぜひ覗いてみたい、そう思ったからであります。

いやーっすばらしい写真の数々でありました。

普段さりげなくそこにある注視しなければ見過ごしてしまいがちな一瞬、あり余る静寂の中、陽光の奏でる旋律の燦爛を見事にとらえた一枚一枚に大感動でありました。あの、光りと緑が満ちあふれる縁側の写真にはやられてしまいました。
皆さんにもここで御紹介したいのはやまやまですが、やはりそれはそれ、ぜひ足を運んでもらって自身の目で確認して頂きたいと思います。
今月12月29日まで「はっち」2階にて開催中ですよ。




そしてその2階の常設展示場では、この躍動感あふれる「えんぶり和紙人形」も鑑賞する事が出来ます。素晴らしいの一言に尽きます。


高橋寛子さんの写真を一枚撮らせて頂きました。
久々にアートを身近に感じ心豊かな一日となりました、たくさんの感動をありがとうございました。
大袈裟な前振りも無く極めてさりげなく師走という本年度最終段階がやって来て、「えっ、もう!」などと、時の流れのあまりの早さにもれなく圧倒され、おろおろと落着かない私なのであります。
いつもならバイクを引っ張りだしてアクセル全開未知の荒野を目指すのですがいかんせん今は冬、ここはひとつ今年の〆として祖母の墓参りでも行って浮ついた心を落着かせようと決心、休みの日にちょっくら出掛けたのです。
すると・・・・・突然の大雪が・・・・日頃の妄想がいけないか・・・・。

いやいやまてまて、それどころか、なんだかきれい。
まるで日本画の巨匠でも描いたような風景画的おもむきではありませんか。
なんだか、かえって落着きを取り戻したような安堵感。
考えてみれば、この雪の時期、ここを訪れるのは初めての事です。

いつもはなんとなく眺めていたこの門ですら幻想的でいて摩訶不思議世界な雰囲気が漂います。

向こう側の表参道は、まるでこの世と別な世界とを結ぶタイムトンネルのような、永遠の静けさを全ての内に沈み込ませ、今にもぼやけ、そしてふっと消えてしまいそうにはかなく浮びます。

現実的選択ミスのコットンスニーカーはすでに水分たっぷり。

今年も残り少なくなりました、あとひとふんばり出来そうです。
寺山修司記念館を訪れてから、あの宇野亜喜良のポスター画が気になって気になって頭から離れず、あれこれ検索していると、3枚所有している古書店を発見。
一枚は「天井桟敷(1968年)・新宿千一夜物語」のやつで、しかも宇野氏のサインが入っていると言う事で、なんと15万円とかなりの高額にてあえなく断念。
もしこれを買ったりなんかしたらみんなから何を言われるかわかりませんのでしっかりと止めておきます。
次の一枚は「CIEL DE LIT」、かたつむりが女体を這い回るやつなのですが巻き皺がひどくこれまた断念。

そして最後の一枚がこれ。

1968年の「初恋地獄篇」のポスター。監督が羽仁進で脚本に寺山修司が参加しているもの。
このエログロな輪郭の完成度の高さといい、異次元的配色の感性といい、敗退的雰囲気といい、すばらしいの一言に尽きます。そしてまた肝心のダメージも少ないと来ている。
値段も、私が居酒屋行きを一晩あきらめればなんとかなる模様。

決定!!

さてっ、何処に飾ろうかな!
次に私が向ったのは「三沢航空科学館」であります。
こちらも以前から行きたいと思っていてもなかなか行けずにいた所です。この機会にと「寺山修司記念館」を出たあと直ぐにむかったのです。



かなりどでかい建物で圧倒。
まあそれは、なんと言っても飛行機ですから、大小様々な飛行機の展示になる訳ですからこれくらいはないと収まりきれない事くらいは、納得です。



ミス・ビードル号(1931年・世界初北大平洋無着陸横断成功)
入場して直ぐにこのミス・ビードル号(レプリカ)が展示してありました。
あらゆるジャンルにおいてビンテージ好きの私にとってこれはかなりカッコイイの部類に属します。
むき出しのエンジンの複雑な形状といい、寸胴で腫れぼったい機体といい、直線的な翼の堅固さといい、そしてなにより色がいいのです。
当時のままの色合いで作られているのであれば、このくすんだオレンジカラーに心をぐっとひかれる次第であります。
そしてよくもまあ、こんな小さな飛行機であの先の見えない海の上を飛んで行ったものです、感動!!
ちなみに、このビードル号、今年の米軍航空祭にて実際に飛んだらしいのです。
かなり見たかったのですが、さすがの日曜日、仕事優先にて行けず、と言ったところです。



スペシャルディスプレイはなんと「零戦」でありました。
なんにも下調べをする事も無く来ていたので、これはまた大いに感動的でありました。
あの、本や写真や映画でしか見た事のなかった「ゼロ戦」が目の前にポッカリ。
小学生の頃に作ったプラモデルがそのまま大きくなった様な親しみのある形状に、しばしとうとうと仰ぎ見てしまいました。感慨深いものです。

エントランスを出ると直ぐに「海軍カレー」が・・・・。
せっかくなのでワンディッシュぺろり!とやっつけてから帰宅。

三沢ってなかなか名所の宝庫ですね、またの探索が楽しみです。
何ヵ月振りだろう、連休と言う48時間もの長い休みをもらったのは。

1日目はバイクを引っ張りだして盛岡方面へと向っている途中、あまりの冷え込みにグローブ越しの手がかじかんでしまい、クラッチレバーを握るという単純作業が困難となり、敢無く帰還。
気温のせいなのか年のせいなのかは後で考えよう。
中途半端な時間に帰宅、買い置きのDVDで映画を見ているうちに難無く日も落ち、これではいけない、何か行動しなくては、と馴染みの「おきな」&「ソウルブランチカフェ」へとレッツゴー!
なんとか楽しい夜を過す事が出来た。

翌日もまた休み。
この休みが続くロングバケーション的シチュエーションに慣れていない私はちょっとした戸惑いの末、三沢行きを決断。
昨日、NHKでやってた「寺山修司記念館」が脳裏を過ったからです。言われてみれば直ぐ近所なのに未だに尋ねた事がなく、いつかはいつかは、と思っていた所でした。

なんと三沢はすでに冬に包まれておりました。この細道、なかなか好きな道のひとつです。



寺山修司記念館到着。
寺山修司を良く知らない私は興味シンシン、胸ワクワクであります。

館内に入ってまず印象的なのは数々のポスター群、このポスターの絵の斬新さに衝撃を受けてしまったのであります。
まず、どれか一枚でも欲しい、などと思ってしまったのであります。
もちろんここでは買う事は出来ませんので、当時もののやつをどこかで気長に探したいものです。

館内は当然写真はNGですが1ケ所だけOKのところがあり、そのあたりをパシャリ!
かなりアーティスティックでエロティックでエネルギッシュでありました。
そこで、少しでも寺山修司を知ろうと「不思議図書館」と言う単行本を購入、読んでみようと思います。
そしてまた、あまりの衝撃を受けたポスターの作者「宇野亜喜良」の60年代物を集めた写真集を購入してしまいました。

これらを参考にどれか気に入ったポスターを一枚だけでも探してみたい、と決意した連休2日目の昼下がりのひとコマでありました。

さあっ次は......。

「いらっしゃーーーーーーーい、たっちゃん!」
「....................」



「ひえええええええええええ、ごっ、ごめんなさい、間違いました。」

私はてっきりと勘違い、がっちりと間違いました。
○○さんはにっこりと笑って聞き流してくれましたが、うっかりと私の凡ミスであります。
しかし、しかしです。あまりにも私の友人に似過ぎておりまして、近くで覗き込んでもそっくりであります。
私は○○さんに丁重にお詫びを申し上げたのと同時に、もっともっとたくさんの証拠写真を撮らせてもらったのであります。
失礼にもはなはだしいのではありますが、さすが○○さん、太っ腹であります。ポーズをとってくれたのであります。

横顔もパシャリ!
似てる似てる、横顔もそっくりであります。

リラックスした感じもいい!
ううううううううーーーん、実に良く似ている。やはりいるものなのですね、世の中には。瓜二つと言っても過言ではありません。

それではその当人に登場していただきましょう、どうぞ!



こちらの都合で、久々の勝手な登場ありがとうございます、たっちゃん。
○○さんはこんなエキセントリックなポーズは多分しないと思いますが、振り返ってみるとこんな感じの陽気な写真しかストックがなくて、仕方なくこの激しいポーズを使わせてもらいました。
無理を言って写真を撮らせてもらって本当にありがとうございました○○さん、そしてまた、昔のはじけた写真を勝手に使っちゃってごめんなさい、たっちゃん。

「それにしても、くりそつ」

お寿し、旬料理「よ志乃」
今年、リニューアルオープンしておりますよ。


真面目な横顔もたった一枚存在したのでたまにはこんなのもあげておきましょうね。

空が透き通る程に青い。
北国八戸ではすでに初冬、11月だと言うのに外気は20℃と言った小春日和。
いったいどうなってるんだ?と思いながらも、本日寝不足気味の私にとっては、やっぱり気持の良い暖かさであることは、間違いところであります。

良い子はぐっすり夜中の1時半
「もしもし、俺俺、コバーン。もう寝てた?ガッハッハッハー!今ね、盛岡、盛岡にいるんだよねー。明日さ、八戸行っていい?って言うか、行くからよろしく!じゃあね、おやすみーー、ガッハッハッハーーーーーー!」

突風に身の回りの物を全て飛ばされてしまってひとりぽつんと取り残された様な孤独感が私を包んだ。いったい今の電話は何だった。私は寝起きのぼけた頭をフルに回転させながら考えた。
コバーン、コバーンってあの、昔、温泉で有り金全部パクられたコバーンか、そうだ、きっとそうだ、明日八戸に来る?って言ってたような、いや、確かそう言ってた。
そんな事を考えている間にだんだんと目が冴えてきた。
結局それから2時間程テレビを見てしまった。


その日の夕方やって来た。
きれいな彼女と可愛い姪っこ、そしてニヒルに微笑むジャンポール.コバーン.ベルモント。実に14年振りの来八であります。
懐かしいやら懐かしくないやら、いつのも顔であります。

夜中の2時前に私を叩き起こしておきながらの満面の笑み、しかも久し振りに会ったと思ったらもう盛岡に帰るとつれない発言。

30分後、車で出発。

まるで悪夢の様な1日でございました。なんちゃって!
今度はゆっくりおいで!



「ハ-ーーーーーーーーーイ、みんな元気!」

またまたあいつがやって来た。
朝っぱらから元気だ。
しかもカミが短くなっている、いつの間にかまたイメチェンか。
確か前回会った時は「ニューヨークじゃ今こんな床屋カットが流行ってるんだぜ」と言っては刈り上げクンみたいな頭をしていたのだが、今日はなんだか爽やかになっているではないか。
また、以前なくしたと言っていた「地球を救う道具の説明書」は見付かったのだろうか?
どっちにしろ、なんだか得体の知れない行動に、微妙な危険を感じるのは私だけか・・・・・。
「あっ、これはこれはお早うございます」
私は取り合えず当り障りの無い挨拶で流した。



「さあっ、どれどれ、もうひとっ走りしてこようかな。お前らもしっかりとがんばれよ地球の為に。」
大事なドラム缶の上で、奴はストレッチを始めた。


「この俺様には、明るい明日が未来が見えているのさ、そこに向ってちょっと行って来るよ、じゃあなみんな、また会おう!」

そう言うと、くるりと背を向け、元気に走り去ったのでありました。
石黒健に似てるなーって、ぼんやりと思った、寝起きは目が霞む私なのでありました。

「さあっ店開けよーっと!」


空高く澄んだ空気が寒冷前線と共にやってくる晩秋を迎えると、当然のごとく展示会出張の時期がまたまたやってくる。
9月後半から11月の前半くらいまでは毎週続くショートトリップとなる。
今回は中目黒のショールームでの商談が一件入っていたのと、そこでの商談が思いのほか早めに終了したので、この側で秘密基地を所有するある人物を訪ねてみようと思い立ったのだ。
わざわざ訪ねて行く訳だから手みやげのひとつでもと考え、私は駅なかでシュークリームを買ったのであるが・・・・この時、あまりにも私自身が腹ぺこであり、途中、やむなくパクり、私の胃の中に収まったのであります。
この事は無かった事にしておきましょう。


確か・・・このあたりのはずだが・・・。

ああっここだここだ!
ここがやつの、タフネスKの隠れ家に間違い無い!
私はそこにある特注であろう鉄製の重いトビラをおそるおそるあけたのであります。


ジャジャーーーーーン!
突然のやつの笑顔がそこに、私は思わず後ずさり、何も知らないだろうやつに向ってあやまったのであります。
「おおっすまんすまん、みやげのケーキ食っちゃったよ」って。
何のことやら皆見当もつかないやつは、そんな事はおかまいなしに、ガッハッハーとただただ笑っておりました。
相変わらず、であります。

彼の名は「Kazufumi Otaka」、「doll」のデザイナーであります。
洋服を作り始めてかれこれ数年が経過、いまやショールームを構える立派なメーカーとしての地位を確立しつつあります。

もちろん彼のデザインした洋服は店でもおかせてもらっているのですが、熱烈なファンの方々がいて、非凡な才能を垣間見る事ができます。
ただ、この軽い笑顔と間のあくジョークには品のかけらも無いのがたまにキズ、であります。

それにしても久し振りに会った様な気がします。元気でなによりです。
そしておっさんと化した私もなんだか元気をもらった様なもらわない様な不思議な浮遊感で胸がいっぱいであります。

また寄りますよ、頑張れ!タフネスK!・・・もし我慢出来たら、次回はケーキもっていけるでしょう!
ここのところうんざりするくらい休日は雨にたたられ、何処にトリップする事も無くぼんやりといち日を過す事が続いた。
これはなかなかつらい所だ。そこで私はガレージに佇むバイクにまたがり、ひとり、うつろな目の前に広がる幻想の世界へと突き進むのでありました。
ブーンブーン・・・・・・・・・?・・・・・まいっか!

先日、やっと晴れ上がった空の元、私は行く先を決めずにふらりバイクを走らせたのであります。
交差点事、あっちに行こうかこっちに行こうかとそのつど決めながらブンブンブン、しばらくするとその交差点もいつのまにかなくなり山岳地帯へと向う事に。
いったいここはどこなのだろう?
私は今、何処を走っているのか解らなくなってしまっていたのです。今までに見た事もない風景があたり一面を支配し、私は得体の知れない孤独感に包まれつつありました。
もしかして・・・道に・・・迷った?
私はその不安を打ち消すように無我夢中でその山中を走り続けたのです。
そして、道に迷った私が辿り着いた先は、なんと「迷ケ平」だったのでありました。
「そりゃあ迷うはな!」








もう、すっかりと晩秋ですね。
「美しい紅葉」、とまではまだいきませんが、ところどころ木々が色づき始めていて冬が近い事を物語っております。
澄んだ空気は冷気と化し、私に、バイクに乗る時はそろそろタイツでもはけよ、と語っているようです。
現に、私の下半身は寒さで感覚が半減・・・・いやっ、それは年のせいか?・・・いやいや、絶対寒さのせいに間違いありません。
がしかし、このさすような冷気のせいで、バイクの調子はかなり上向き、軽快なライディングを楽しむ事に成功したのであります。
ハークション!
自宅に帰り着いてから直ぐに、あったかい風呂に浸かったのは言うまでもありませんけどね!


OMAKE

パソコンを開けたら「あらた」と「あさひ」の最新映像が届いておりました。
こいつら、絶対ワルになるな、なーんて思った、最近増々物忘れがひどくなった私なのでありました。

(明日の朝8時30分からの「はなまるマーケット」見て下さい!)

HIROSHI.KOBAYASHIより、たったこれだけの、不信なメールが届いた。
いつもの事なのだが、彼のメールはある意味端的で、しかも意味不明な事が多い。
またまた、何だよいったい「はなまるマーケット」って・・・。
かつて私はその「はなまるマーケット」なる存在すら知らない無知蒙昧な長男坊であり、現在に至っても、いったいその空間には何があるのか想像する事さえ不可能な心的飽和状態にあるのであります。

翌朝、8時30分。
私は言われた通りに白いブリーフ一丁でテレビの前に正座し、そして何が起きるのかいたずらに考えを巡らしながら、その時を待ったのであります。

番組が始ったが、未だ半分程眠っているだろう私の脳は、今テレビの中でいったい何が語られているのか全く理解出来ない状態にあり、一度立ち上がり、体内活性化の為に水を飲みに行ったのです。
それによってやや視覚がクリアーになり、再びテレビの前に正座。
それでもやはり私には難解な流れが続き、どうしようか、また寝ようか、などと気弱にあきらめかけた時に「事件」が勃発したのであります。


「ん、小林健二、健二君、あの健二君・・・おおーっ、健二君じゃないかっー」
私の盆暗な脳がはっきりと健二君を認識したのであります。
しかもかの有名な「宇津井健」氏と共演、素晴らしい事件ではありませんか。
あまりに驚いてしまった私は膝立ちの中腰のまま、そのテレビ画面に釘付けになってしまったのであります。




「宇津井健」氏の肩幅もさることながら、健二君の景色盆栽の素晴らしい事、随分とまた腕を上げたものです。そして立派になったものです。
白いブリーフの上に一筋の涙がポトリ、小さなシミを作ったのであります。

年を重ね、本当に良い笑顔になりましたね、そしてその笑顔は、著名な兄である、かのHIROSHI・KOBAYASHIの笑顔に似て来た事を実感したのであります。
ハンバーグ好きの本当に仲の良い兄弟であります。

これからもどんどんがんばって下さいませ、影ながら密かに応援しておりますよ。

宇津井健氏は神経痛? 失礼!
国の重要有形文化財に指定されている建築物が市内中心街にある。
古くからの酒蔵の建屋だったのだが、内外装をドレスアップ、日本料理店として営業している。
以前から気にはなってはいたのだが、なかなか機会が無くここに足を踏み入れる事は無かった。
しかし、ひょんな事から、その代表者が昔からの知り合いである事が判明、敷居の高かったその大正ロマン的出立ちをいとも簡単にくぐり抜けて、その興味しんしんな店内への潜入に成功したのであります。

本日はカミさんの誕生日でありまして、また、愛犬ダイの命日でもあります。
これは運命と言っても過言ではない、強い絆を感じてなりませんね。


ダイには好物のカットスイカを持参してきました。
奴はこれが大好きで、シャキシャキゴックンとうまそうに食します。次から次から食します。
私もひとつ、と、私の口にひとかけ運ぼうとすると奴は私を睨みます。そこで私は泣く泣くダイにそれもやります。
シャキシャキとそれもまたうまそうに平らげます。
うん、じつにイイ笑顔です。

今回はおとなしく身内だけのパーティーとなりましたが、これもまた良し。ゆっくりと手のこんだ数々の料理とお酒を楽しむ事が出来ました。
そして、それらを堪能するあまり、すっかりと写真を撮る事を忘れておりました、ナッハッハッであります、ひとつをのぞいては、


そしてそれがこれ、ゆいいつ忘れないで撮った、天高くそびえ立つ天麩羅盛り合わせ追加記念写真であります。
あくまでサクッサク、プリップリであります。
それにしても出て来る料理はどれもこれもうまい、内外装といい料理といい大したものです。
男前料理長、ありがとうございました。ぜひまたお伺いしたいと思います。


はーっと、驚嘆のため息が出る程、実に美しい店です。

デジカメの不良化と雨に煙る夏の終わり、私はふらり「ラウラ」三浦氏の個展へと出掛けて来ました。



雨のせいか?カメラのせいか?と言われればもちろん年老いたメラのせいでありまして、せっかくのワンダフルで牧歌な叙情的景色が幻想的な魔法の世界のように映ってしまいました。
まあ、それはそれで良いかなっと。


個展の行なわれているギャラリーも「幻想霧」立ち篭める様相に、あくまでもカメラ、カメラのせいであります。
とは言っても一度は確かめるべき?いやいや、映っているのかいないのかそんな小さな現実を確かめないところが私のいい所でもあります。


この、玄関先のちょっとした静なるたたずまいが、このギャラリーでの私の一番好きな空間であります。


著名なヘア-アーティストのK氏もここを訪れておりまして、ちょうど皆さんと歓談中、この後、私のようなヒッコリーパンツのおっさんとも気軽に会話をしてくれたのでありました、ありがとうございました。







作品もたっぷりと手のこんだすばらしいものがたくさんありました。
私の年老いたカメラがもう少し気がきいていればまだまだこの場でたくさんの作品を紹介出来たのですが・・・残念でなりまぜん。
個展の方は終了してしまいましたが、ここはショップとしての機能も満載、やっていればオープンしているでしょう。
ぜひ電話をしてみてから出掛けてみてはいかがでしょう。きっとあなたの生活に潤いをもたらす「もの」がまっていてくれる事でしょう。
ちなみに私は、かみさんには内緒ですが、ひとつだけ買わせてもらいました。
どれを買ったかはとてもじゃないが言えませんけどね、悪しからず。

先日、一年毎にやって来る恒例の、生まれて初めての節目をまたまた迎え、皆さんに祝ってもらった次第であります。



濃霧のなか、方向を見失ってしまった不安一杯の小さな船が、やっとのことで見つけだした遥か彼方に浮ぶ灯台のあかり、そんな歓喜の感情を揺さぶる優しいオレンジ色のキャンドルの炎が、まるで宝石箱をひっくり返した様にちりばめられたカラフルなフルーツの山脈をそっと照らす。
遠くに望む冬のマッキンリーの頂上かと見誤る断崖絶壁にはあまーい生クリームがたっぷり。
実にうまそうだ。
まるで満月と確かに数字の様なものが中央部分に突き刺さっておりますが、明らかに私の年ではなく、また、そのキャンドルの数も6本と明らかに現在の私とは懸け離れておりますが、このパーティーは明らかに私のパーティーなのでありました。



「いやっ・・・これ取れねーな、うーーーん、ひっぱっても、くそーっ」

このパーティーの席、私の向側には是川の中年ハリ-ポッター岩SOURが座り、なにやら得体の知れない物体を懸命に押したり引っ張ったり、それを興味ありそうでなさそうに覗き込む、まるで手前のワインボトルのコルクキャップと化したMKK。

「この前僕火星に行って来たんすよ。」
唐突にキュウティクル的天使の輪を輝かせながら岩SOURが言った。

「はっ、火星って・・・なにしに行ったんだよ・・・そんな遠くまで」
しこたまワインを飲まされ、目の前の物体全てがふたつに重なって見えている私は適当に質問してみた。

「何しにって親戚ん家に決まってんじゃないすか、姪っこが結婚したんすよ。そん時はポン酒飲んだ飲んだ、キリッと辛口純米酒・岩沢酒店。・・・そん時に火星のおじさんからこれもらったんだよね、これ。なんか、地球が何らかの危機的状況におちいったら使えって言われたんだけど、どうやって使うのか説明書はいってねーかなーとおもってさ。うーーーーんこりゃ」

「・・・・・・・・・・・、そこまで飲んでくれてありがとう、うれしいよ」

こうして楽しい夜はだんだんと更けたのでありました。


「もう行くの、たった今来たばかりじゃないか」
ふいに子馬が言った。
「うん、みんなの元気な顔も見れたしそろそろ帰るよ、日帰りだからね」
私は軽い笑顔でそう答えた。
「そうか、そうだよね、今から帰っても3時間はかかるもんね。仕方ないか」
子馬はひとくち芝をはんでから残念そうにそう言った。
「また近い内にくるよ、熱湯にやられたみんなを連れて、みんなも元気で、それじゃあ、また!」

彼等に別れを告げた私はそのエリアゲートを抜け、市街地へ向う路線へとバイクを走らせた。温暖な海風と潮騒が心地良い。
小さな商店街を抜けたあたりにその店はあった。

海峡食堂って、映画にでも出てきそうなネーミングではありませんか。何となくその雰囲気に引かれたのと、ちょうどお腹も空いてきたところだったし、私は入ってみる事にしたのでした。

テーブル席に着くと眼下に大海原がひろがり、前席の親子が海鮮丼を上品にぱくついているのが見えた。どうやら納得の味らしい。
ちなみに、向って左側の窓のまん中あたりにポツンとある黒い点の様なものは大きな蜘蛛で、こちらもこの時捕まえた虫をうまそうにぱくついておりました。
メニューをざっと見回した私は、海鮮かき揚げソバを注文。このロケーションで刺身系は絶対うまいはずなのは解りますがあえてソバをチョイスしたのです。
待つ事10分くらい。

なんとも上品なこしらえ。
ソバの上に、みだらなかき揚げがどかんと乗って来るものだとばかり思っていた下品な私にとって、これは衝撃的な品の良さでありました、しかも2個。
そしてこれがまた海鮮ぎっしりサックサクでうまいのなんのってこんちくしょう。
旨味の濃厚スープに腰のしっかりとしたプリップリソバが歯応え満点パパ。
そのまた旨味スープをすったかき揚げがなんともデリーシャス&ワンダーフル。
これ、間違い無くう・ま・い!
あっと言う間に完食、もう一杯行けそう。
旅での食事、大当たりはそうそう無いけど、今回はグッドでございました。

帰り道。
峠から原発がちらりと目に入りました。
事故が無い事を、祈るばかりです。
久し振りの連休・ピーカン・草刈り終了・キャブセッティング良好・やる気満々、と来れば「尻屋」でしょ。
と言う事で、今回は「尻屋崎」までひとっ飛び。

ちょうど10年前、「ごめ」の石岡君達と数名で下北半島を一周した時にちょいと立ち寄った所。
悪天候とその海風の強さに圧倒されて泣きながら吹き飛ばされそうになった所であります。
その最も危険な状況に身を呈して私達を突風から守ってくれたのが、寒立馬のジロー(仮名)でありました。
ジロー(仮名)はその小さな群れのボスで数頭の仲間を引き連れ、へなへなと腰の立たなくなった私達を囲みそして救ってくれたのでありました。
その時のお礼とまた新年の挨拶も兼ねて、本州の果てへと向ったのであります。

余談ですが、
以前はこの後に大畑へと向ったのであります。その冷えきった体を暖めようと、ちょうど目の前にあった古くからあったであろう温泉に入ったのであります。
中には大きな浴槽がひとつ、その隣に中くらいの浴槽がひとつ、せまい通路をはさんで、小さな水の浴槽がひとつ、そして洗い場が回りを囲む広い所の中央部分に丸型の直径150センチ程の小さな浴槽がひとつありました。
みんなそれぞれ思い思いの浴槽に体を沈めてホッと一息、体のシンまで温まったのであります。
しかし見ると、誰もその小さな丸型の浴槽へ入っている者はありませんでした。
するとひとり、石岡君がすくっと立ち上がり、その丸型の浴槽へと向ったのであります。
ただ、誰もそれ程それに対して興味をもっている事も無くさりげなく横目で眺めているだけでした。
かくゆう私もそんな感じで何気なく眺めていたものでした。
トコトコと立派なものを股間にぶら下げた石岡君はその丸型の浴槽の縁に腰掛けると、するりと両足をその湯に差し込んだのであります。

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

大きな叫び声が風呂場の高い天上にまでこだまし弾けとんだのであります。
最初、私達は何が起こったのか見当も付きませんでした。そこには石岡君が、その立派なものを上向にさらけ出し、無惨にも大の字に転がっているだけでした。
良く良く見ると、先程湯に突っ込んだその足が膝のあたりまで真っ赤に変色してしまっているではありませんか。

「あっつい、これ死ぬ程あつい、こんなもの入れねーよ!」

石岡君はその真っ赤に腫れ上がった両の足をさすりながら天上に向ってそう叫んでおりました。
それに興味を示した面々がその丸型浴槽に大集合。
それぞれが足の指先をちょいとつけただけで転げ回る始末。
私もその後、思いきって、えいっと右足を膝まで突っ込んでみて驚いた。これはもはや風呂の湯というせまい了見を飛び越えて、すでに熱湯ではありませんか。
言わずもがな、私もそのきれいに磨かれたタイルの上を転げ回るはめになりました。
とてもじゃありません、これは、この風呂場というみんなの空間にあるよりも調理場という閉ざされた空間にあるべきものなのであります。
みんなそう思ったに違いありません。
しかしそんな仲、勇者と言うのは存在するもので、体の引き締まった梅ちゃんが手を上げたのであります。
そして生涯で一番の勇気を振り絞りその熱湯に勇敢にも挑んだのであります。

「ぎゃああああああああああああ、どりあああああああああああああ!」

なんと肩まで浸かったではありませんか、さすがであります。
しかしそう思ったのも束の間、すぐに転げ出たのであります。
その全身はどす黒い程の赤に荒れ上がり、とても通常の人間の皮膚の色ではありませんでした。ケロイドの少し手前。
梅ちゃんは直ぐに水風呂に飛び込み、その大切な一命を取り留めたのであります。
私達は思いました。
「あまりにも危険すぎる」と。

するとそこに70才はゆうに越えているだろうと思われる、地元の漁師らしき老人がひとり入ってきたのであります。
その老人は私達若僧には見向きもせずに、その丸型の浴槽の側に陣どると、持参したプラスティックの黄色い桶にその恐怖の湯を注ぎ入れるや、涼しい顔で肩からさらりとかぶったのであります。
「ぎゃっ」
となりにいた私の方から小さな声がもれてしまった。
その老人は何事もなく、2杯目の湯をその桶に満たすともう片方の肩からその湯をザザーと掛けたのであります。
そしてすくっと立ち上がると、スイーと、まるでその湯に吸込まれるように肩まで浸かったのであります。
「ふぅーっ!」
小さな気持良さそうな息をひとつはくと、その老人は恍惚の表情を浮かべ首をひとつ右側に折ると、コキッと鳴らしたのでありました。
私達は呆気にとられ、そしてその場をすごすごと立ち去ったのでありました。
私の予想では約50℃はあったのではないか、と、思っている次第であります。

エンジンは快調に三拍子を刻み、軽快に野山を掛け抜けて行きます。
そして先に素晴らしい景色が見えて来ました。

おおー純白の灯台の下にはあの馬達が見えるではありませんか。
透き通る青空と白い灯台、そして優しい馬達、これ以上の感動はありません。

「その節はありがとうジロー(仮名)元気でなによりです、今年もよろしく!」
誰がジローだったかはっきりとしない私はそこに立つみんなにお礼をしたのでありま
した。

長いので次回へ