◆ T-bird BLOG ◆

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あっと言う間につむじ風のごとく過ぎ去ろうとしている2009年。
この一年のサイクルが年々年を増すごとにかなり短く感じられます。
もう年の瀬なんだ~~~な~んて、この寒さも加わって感傷的になっちゃいますね。

毎年恒例なのですが、12月31日の営業最終日、スタッフ総勢で軽い忘年会をHGCにて開きます。
その時に欠かせないのが、年に一回の贅沢「よ志乃」の出前なのであります。
これを食してその年の〆とするのです。
最近、たべもの話が続いておりますが悪しからず。

おこづかいが乏しい私はここのところなかなか足を向けていなかった「よ志乃寿司」へと暮の注文を兼ねて食事でもと久々に向ったのであります。

歴史を感じる佇まいだ。
どれどれ「たっちゃん」はいつもの様に頑張ってるかな。
ドアをガラガラガラガラっと開けた。


えっ!
またしてもロックSOUR夫妻(岩SOURではいやだとわがままを言うので変更)、いったいどうなっているのだ。
しかも見た事も無い満面の笑み。八戸はいくら狭いとは言ってもこんなにまでも会うものか・・・・それともこれが縁なのか・・・神様のいたずら・・・仕方がない・・。
私は覚悟を決めてその席に、カウンター席に腰掛けたのであります。


「おうっしばらくじゃね~か。いままでどこをほっつき歩いてたんだい。ちっとも顔を出さね~で。こんちくしょう!」
「ごめんごめん、ここんとこ不景気で来たくてもなかなかこれなかったんだよ。(今日は二日酔いじゃあないみたい元気ハツラツだ)ところで、せっかく来たんだから、まずマグロあたりからいきたいね~そのデコに輝くやつ」
「おおっと、いいのがあるよ!もちろんこの通り大間だ。こんちくしょう」
サッサッサッっと、さぁどうだ。

ヒエエエエ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!
すんばらすいビジュアル!
よだれが垂れてくる、早速いただきま~す!
う~ん、口に含んだ瞬間にとろける、そして脂にコクがある。これ程極上のマグロはそうは食えないだろう。
「たっちゃん、さすがだね~これはい~いものだ」

「ヘッヘッヘッヘ~そうだろ~~俺の手にかかるとこんなものさ~~ヘッヘッヘッへ~さあ、なんでも好きなものを注文してくれ、この俺様が握ってやるぜ」
目つきは悪人だが調子がでてきたな。
「それじゃあ、あれとこれと、あとこれをお願いします。」
「おぅよ!」

アチョ~アチョ~アチョ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!

カニッカニッカニッカニ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!
(これら奥義は普段は使いません、悪しからず)

「はいよ、出来たぜ」
たっちゃんはありったけのポーズを駆使し素晴らしい寿司を作り上げた。
そして先程の奇声とは裏腹にクールに差し出したのでありました。

おちゃめな彼とは20代後半からの付き合いになるけど、先に50代が見えた今、若い頃よりも「寿司」に円熟味が加わってきているのがわかる。
「気持ち」、そう、熱い気持ちが寿司に入るのかもしれない。

「うまかったね~ロックSOUR」

「うんうんめちゃめちゃうまかったよボクチンも。」
「そうね、やっぱりおいしいおいしいおいしいわね~」
うまいものをくったロックSOUR夫妻はなんだか優しい顔つきになっていた。

これで日本酒飲め飲め攻撃だけは避けられそうだ。

そんな彼等は友達の少ない私にとっては貴重な存在である事は言うまでも無い。
「これからもよろしく!」

年末の夜の時間はこうして深々と流れていったのでありました。

ロックSOUR談
「近頃ブログちっと長いんじゃない、もっと簡潔にしないと」
「了解しました!」




~虹の~地平を~歩~み~出て~~~~~~~~♪

う~ん懐かしい&すばらしい!
実に37年振りに耳にした。

ある時アマゾンでCDを検索中に偶然にも目にした「トワ・エ・モア」のCDジャケット。

思えば1972年2月、札幌オリンピック。
この曲が一世を風靡したものだ。透き通るようにおおらかなふたりの声が心の奥底までも浸透してくる。
何も無い時代、小学6年生だった私はオリンピックの様子を部屋で聞く為に小さなラジオを作った。
そう「一石ラジオ」。乾電池をばらして中にある炭素棒を取り出し、その回りをぐるぐるに銅線で巻き上げコイル状にした。
これは中の炭素棒をづらす事でチャンネルになる。
その他近所のゴミ置き場に捨ててあったテレビの内部から、ダイオードを一個とコンデンサーを一個取り外しこれにつないだ。
コイルの端っこにイヤホンを取り付け、反対側に垂らしてる余った銅線をコンセントの片側に突っ込む。
両側に突っ込んではいけない。
なぜならビッビッっと感電してしまうから。
私はこの一石ラジオで夜中までオリンピック放送を楽しんだ。
イヤホンの小さな穴から果てしない世界が目の前に広がったものだ
その時に流れていたこの「虹と雪のバラード」。
あの時の感動が再び膨らみ始めた私の人差し指はそれをさりげなくカートへと導いていたのでありました。

数日後、手元に届いたそれをカーコンポに挿入。
そして私は車上の人となったのであります。
またしてもラーメン紀行、お客様からゲットしたうまうま情報。
今回も青森方面、思い出の音楽を聞きながらのちょうど良い距離感。
国道4号線を市内方向へと進み、途中「合浦(がっぽ)公園」へと進路を変えた。
「確かこの辺だと聞いたのだが・・・・」



あっ公園だ。
ここが合浦公園か。名前はよく耳にするのだが来たのは初めて。奥には球場もありそうだ。
なかなか良い環境ではないか。それに、今年初めて目にするこの雪もなかなかきれいなものだ。
このCDによく似合う。


「つじい」おお~ここだ、ここだ。
本当に公園の目の前にある。早速入ってみよう。


う~ん、うまそうだ、どれどれ。
ズッズッズッズッズ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!
うまい!
魚介スープが濃厚だがそれ自体が突出しないように何かがうまく調和させている。
椎茸か?素人の私にはうまく嗅ぎ分けられないが、かなりまとまっている味だ。
それにこの麺は細い。極細の縮れ麺だ。するするすんなりと咽を通っていく。
スープをたっぷりと吸ったチャーシューも3枚と豪勢だ。
ふぅーーーーーうまかった。
それにしてもすごい混み様だ。どれどれ、とっとと店を出ようかな。

そ~らよ~~~水色~のそ~らよ~~~~~~

う~ん、やっぱりいい、かなりいい。
恐るべしトワ・エ・モア、もしかすればまた時代が巡って来るかもしれない。

おぅっと雪も強くなったしこのまま八戸へレッツゴー!
帰ったら先日ゲットしたDVD「自虐の詩」でも観ようかな。

そう言えば高校生の頃、一度だけこのパンチにした事があったな~こっちも懐かしい。

こうして取り留めのない休日がまたひとつ終わっていったのです。



新蕎麦の季節がやってきた。


おお~久々の「おきな」だ。
ここのところしばらくお酒を飲みに出ていなかったからな~たまにはいいものだ。
もう岩SOUR夫妻は着いている事だろう、約束の時間にちょっと遅れてしまったけど大丈夫かな。
申訳なさを胸に、どれどれっと私は暖簾をかきあげたのです。


「蕎麦っていうのはね~やっぱり日本人の魂的存在だよね。」
「そうよね、特に今、この時期は蕎麦が恋しくて恋しくてたまらないわよね。新蕎麦の魅力ってやつかな。まるでオアスロウのPコートにワコマリアのハットをかぶったあっ君みたいに・・・」
「えへへ・・・・・そうか!」
なんのこっちゃ・・・・。

遅れた事の言い訳をひと通り熱弁し、生ビールで乾杯。
その後「蕎麦屋」と言う事もあり、八戸の地酒「はちつる」をお猪口でクイッと。
厨房では店主である「伸ちゃん」が私達のために腕によりを掛けて料理を作っている様子。
さっきから顔も見てはいない。
10分もすると次から次へと自慢料理が登場した。








おお~どれもこれもうまそうだ。
特にこの「親子丼」の上だけのやつが私の大好物なのです。さすが伸ちゃん、わかってらっしゃる。
う~ん、ウナギの蒲焼きも程よい脂で香ばしい。
ズワイといい、湯豆腐といい身も心も温まる演出だ。
これは伸ちゃんを呼んで誉めてやらなければならない。




「は~い!いらっしゃい、みんな、どう、元気!料理、なかなかいけるでしょ。これからまだまだたくさん作ってやるから楽しみに待ってて。おおっと湯が沸き出した、じゃあね!あっそうそう、最後みんなで飲もうよ。」
「うん、わかった。作り終わったらこっちで合流しよう」
そそくさと伸ちゃんは厨房の奥へと引っ込んで行ったのでありました。
それにしても、伸ちゃん、しばらく会わないうちにずいぶん毛深くなったものだ。まるでテディ-ベア-じゃないか・・・あっそうか、もうすぐ冬になるもんな~毛も生えるわな~納得!」


〆のもり蕎麦、
のど越し滑らかにするりするりと完食。
ちょうど2時間のゆったりと楽しい時間を過す事が出来た。
伸ちゃんありがとう、また来るよ、風呂入れよ!


この後、となりの「ソウル・ブランチ・カフェ」へと向い、さらりとワインを頂いたのであります。
寒気がわがもの顔で支配している北国の夜は、深々と更けていったのでありました。
そろそろ雪になるかもしれないな~

う~~~~~~~~~~さぶ!



ひと通り仕事も終わった・・・・う~ん、まだ2時か。
東京出張中、思ったよりもかなり時間に余裕が出来てしまった私は、ふっと思い立ったのです。
学生時代に過した下井草まで足を伸ばしてみようか・・.と。
かれこれ30年は経過している、いやもう少しか。
仕事で洋服の展示会を回るのは殆どが原宿・青山から恵比寿界隈であり、当時よく利用していた新宿方面はとんと御無沙汰なのでした。
どれどれ数十年前にタイムスリップしてみるか。
あの頃住んでいた「陵雲閣」というアパートは果たしてあるのだろうか。当時すでに築年数がある程度経っていた筈だ。


おお~懐かしい、懐かしすぎる光景だ。
夜の新宿でバイトしていて、毎日のようにこの西部新宿線の最終でよく帰ったものだ。
この駅ビルを目にするのも帰郷以来約30年振りだ。
なんにも変わってないような気がするが~壁などやや色褪せた感は否めないかな。
電車もまんまのような気がする。しかし当時よりローカル臭が漂っている感じはなんなんだろう。


おお~下井草だ。いやいや懐かしい、どうしよう!
って、どれどれ降りてみるか。


おお~駅が改築されているではないか。全く近代化されてしまっている。しかもなんと二階建てに。
私がいた頃は改札の所に小さな屋根があるだけの小さな駅舎で、そこを抜けたらすぐそこには線路が走っていたものです。
向こう側に渡るにはか細い屋根付きの歩道橋の様な通路がひとつあっただけ。
それもまたいい味を出していたものですが・・・。


駅前商店街を右側に入り真直ぐ進むとその先に「陵雲閣」はあったはずだ。
いやはや、よく覚えているものだ。この辺はあまり変わってないな~。
ただコンビニがあちらこちらに建っている。時代だね~。
どれどれ・・・確か・・・この先にあったはずだが・・・おお~~~~~~~~~!




あった~~~~~~~~~!
未だ健在で立っていた。感動的だ。
確か1970年に建築されたものだから今年で約40年の歳月が流れた計算になる。
う~~~~~んっ立派なものだ。
それにしてもこの玄関といい、表札といい、この薄暗い階段といい当時のまんまだ。
私の部屋は確か302号室だったと思う。毎日この階段を登ったり降りたりしたのが、まるで昨日のように感じられる程リアルな雰囲気を漂わせている。
「ケンザ~~~~イ、バンザ~~~~イ!」
この後、いつも通っていた銭湯へと足を伸ばしてみたのだが、時代の波には勝てなかったのだろう跡方も無く消え去っていた。淋しいものです。
定食屋のおばちゃんや本屋のおじちゃんは・・・などとも思ったのですが・・・行くのは止めときました。


この通りがメインだと思っていたのですが風の流れが静かな様です。
「お父さん、大丈夫、バスはもうすぐですよ!」


交番はきれいになっていました。
当時お金に困った時に助けて頂いた事を思い出します。
あの緊急援助が無ければ私は今こうして真っ当な人生を歩んでいなかったかも知れませんね。
あの時は本当にありがとうございました。

さて、そろそろ時間だ。帰らなければならない。
もし、この先、このような自由時間が出来たとしたら再びここを訪れてみたいものだ。
そしてその時こそは、大好物だった「生姜焼定食」をたのもうと思っている。
おばちゃんの笑顔は、そこにないのかもしれないけれど.....。

「ええっ、3杯注文して3杯食べて来ました」

常連で食通のお客様がそんな突飛で不可解な事を言い放った。

「えっ、3杯って、ラーメン3杯いっきに注文してそれをいっきに食って来たって事」

「はい、そうです」

そうですって・・・私はすっかりと驚いてしまった。

「塩ラーメン・醤油ラーメンそしてチャーシューメンです。そこって塩ラーメンがかなり有名なんですけど、せっかく来たのでひととおり食べてみようと思って・・・・」

ひととおりって・・・すご過ぎる。

場所を聞くと七戸町だと言う。
しかもその詳しい住所と名前を聞くと何だか私の知り合いのような・・・・
と言うのもそのあたりにはかつて私の祖母の家があり幼い私は数年間ではあったがその祖母の家で育った。
確かに「高山さん」と言っていた。
もしかして「あっちゃん」ち?
そうだ、そこに住んでいた小学校の中学年あたりまで、毎日のように「あっちゃん」と遊んでいたものだ。
その妹が「なおちゃん」で一番下の弟が「かっちゃん?」。
当時、テレビ番組では「ケンちゃんチャコちゃん」が流行っていて、「かっちゃん?」は「ケンちゃん」のイメージがあったことを今でも覚えている。
ただ、今「かっちゃん?」と言っているのだが、名前はそれであっているのだろうか?
記憶にやや不安が過る。そうだ、(仮)としておこう。

次の休みにでも早速行ってみようかな。


あっここだここだ。
やっぱりそうだ。あっちゃんちだ、が、当時は洋服屋だったと思ったが・・・・。
それに、みんな「ラーメンの高山」と呼ぶのだが「ラーメン徳」ではないか・・・・。
なんだか情報が噛み合わない感じだが、せっかくだから入ってみよう。


そうであった。
やっぱりそうであった。あっちゃんちであった。お母さんの顔にぴんときた。
幼い頃にたくさん遊んでもらったお母さんなのでありました。
いや~懐かしくて懐かしくて、その空気感がなんだか心地よいものです。
店は「(仮)かっちゃん」の嫁さんとお母さんとで切り盛りしている様子。
そこにはお母さんの孫にあたる男の子もおりました。(名前を聞くのを忘れてしまった)

あったかい家族の雰囲気がほんわかと漂って来ませんか。


これが噂の「塩ラーメン」です。

スープを、ずずずず~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!

う~~~~ん・うまい!

さすが青森県ラーメンランキングで上位に入っているだけの事はある。
丹念にふつふつと時間を掛けて仕込んだと思われるスープは奥行きのある各素材のうまさをグッと引き出している。
手間を惜しまずこしらえた「温かさ」が伝わってくる。
この時、偶然にも「(仮)かっちゃん」が店内に姿を表した。
「お~小さい頃の面影あるね~~~~~~!」
「うわぁ~~~~懐かしいね~~~~!」

こんな会話が店中にこだまし、和やかな時間が立ち上る湯気と共にゆっくりと流れた。

久し振りに足を伸ばしてみて良かった、と、ひとり悦に入る。
しかしながら私はいつも何かを忘れる癖がある。
何かに熱中すると他の何かが全て何処かに飛んで行ってしまう。最近増々ひどくなる傾向にある。
「(仮)かっちゃん」の名前を確認してくるのを忘れていた。
だけどそんなに焦る事も無いだろう、忘れた事を気付いただけでも良しとしよう。
まだまだ時間はいくらでもある。
そのうち・・・・今度は自家製チャーシューのたっぷりと載った「チャーシューメン」を食べながらでも「(仮)かっちゃん」の事を確かめてみよう!


出張だ、マフラー交換だ、誰かの交通違反だ、今日の昼飯は何だ、とパタパタしているうちにすっかりと秋は深まっていた。
10月半ばに紅葉にでもと思っていたのだが思うように時間が取れずに断念。
ところが先日ぽっかりと休みが取れて、それではと八甲田方面へと足を伸ばしたのでした。


今回は青森市内にも寄る所(ラーメン屋巡り)があったので「みちのく有料道路」を使用。
あたりの木々は既に紅葉と言った感はとうに過ぎ去り、さらに深い色合いへと変化が進んでいた。


ラーメンをすすり、その他市内での用事を済ませた私は、せっかくなので八甲田を越えて蔦温泉を目指したのです。
ちなみに道路脇に立つ鉄塔の先にある矢印は豪雪のさいに隠れてしまう道路のアウトラインを示しています。
あの辺の高さまで数メートルもの雪がこのあたりでは積もるのかもね。


夏に見た萌える緑のトンネルはさっぱりと消え失せ、若干の淋しさが漂う景観だ。
この辺に住む熊達はもう寝てしまったのかもしれない、などど勝手に頭に浮んだ。


11月の半ばだと言うのに蔦温泉は団体の泊まり客でごった返してた。
幸い私が入浴中には誰ひとり浴場に入って来る者も無くのんびりとゆったりと出来た次第です。


帰り道小さな売店で買ったリンゴジュース。
う~ん、デリーシャス!

さぁ~て、風呂も満喫出来たし休日の〆に、しんちゃん(おきな)とこ行って蕎麦でも食うかな!
レッツラ・ゴーーーーーーー!



ジョークか、えっ、ジョークじゃない。
なになに・・・ジョークじゃなかったら今度は何で捕まったんだ。
「携帯で・・・」
「なんと、また携帯で捕まったのか、バッカじゃね~の」
「いやいや、それはジョークです」
って、あまりにも情けない、あまりにも力のないジョーク言ってんじゃねーよ。


ジャジャーンと2枚の輝かしい違反キップ。
隣で皮ジャンのおじさんがニヒルに笑っている。ジンはそんなに笑えない。


お~違反金もグッグッと倍増だ。なんか2枚もあると壮観だ。


どうやらこの黒いマフラーで捕まったらしい。
奴のは直管だからな~止められたらもうどうしようもない。
私の可憐なマフラーと違って品が無いと言うか・・・・。
それにしても昨日の今日だからな~。


そしてジンと一緒にいっせい検挙された懲りない面々。
みんないい顔してるね~捕まっても実に前向きな人達だ。
これからもその笑顔を忘れないでバンバンかっ飛ばしてくれよ・・・マフラー変えて!


反省!




マフラーをシガーに変えた。
最近グッグッと寒くなったので温ったかホッカホカでフッカフカのやつに・・・・・・
って、違うだろ!
と、ひとり突っ込みもよろしいようで。


かなり全体的にスリムにまとまった。
エンジンからの流れる様な艶かしい曲線が美しい。そしてきりの良い適度な長さ。
カタログで見て一目で気に入ってしまい早々購入し装着したのだが、かなりのグッドフィーリング。
そのサウンドは直管をまろやかに上品にした感覚で心地よい張り具合。
乗っていて下っ腹に感じる重低音は全身を突き上げながらも軽やかなリズムを奏でハンドルを握る両腕へと伝わって来る。


消音機の部分がシガーたる由縁だ。
シンプルで美しい形状だ。


スッキリと車体全体が細くなりシャープな印象に。
写真は躍動的にややブレをプラス。
さあーまだまだ乗るぞ~!


おっ何だこれは?
あれあれジンのやつだ。あいつまた捕まったのだな。今度は何で捕まったんだろう。
そうか、携帯電話か、これまた微妙な違反だな。
しかし免許の更新時の講習はまた違反者講習だなあいつ。あれって長いんだよな~!

おっジンが来た来た。
「おい、お前また捕まったのか。しかも携帯で」
「そうなんすよ。まいったっすよ。しかも白バイにっすよ。
俺は見てね~つっても(私は君が見たのを見た)の一点張りなんすよ。まるで引かないの。
時間も無いし折れましたよ。まったくついてね~」

そう言いながら奴はまた携帯電話をちらりと見た。
癖か・・・・



ハ-ハ-・ゼ-ゼ-・ハ-ハ-・ゼーぜー・・・・・・

息を切らしながらのジョギングの最中だった。
どこからともなく「モスラーヤ、モスラーーーーーーー」
と、いつか遠い昔に聞いた覚えのあるフレーズが流れて来た。
懐かしい。懐かし過ぎる。
確か、私がまだ小学生の頃の、そう、あれはザ・ピーナッツが妖精に扮して歌っていたやつだ。
あの頃はよく映画館へと足を運んだものだ。
たっぷりと汗をかいた体に淡い思い出が甦る。

しかしなぜ今モスラなのだ?
そんな疑問がふと頭の中を駆け巡っている時だった。

「えっ、いったいあれは何だ!」
私は一瞬目を疑った。あの遥か向こうの海に浮んでいるのは、もしや・・・・。

モスラ?
モスラの幼虫?
モスラの幼虫ではないか!
イノファント島ではなく、こんな近場に生息していたのか。
子供の頃みたあの映画のモスラは実在していたのか?まったくおどろいた。
酸素の薄くなった私の頭はくらくらと揺らめいた。
そして何気なく空に目をやった私は再び衝撃を受けた。

アナゴ?
空には巨大なアナゴが出現していた。いったい今日はどうしたと言うのだ。
モスラといいアナゴといい、私は少し走り過ぎたのか?次回から少し距離を縮る?

そのうちその巨大アナゴは東の彼方へと消え去って行った。
そうだ、問題はモスラだ。私は前進し、そっと近付いてみた。

どうやら寝ているようだ。
いやいや違う、あれはサナギ化しているのだ。
もしかすれば羽化するのも近いのかもしれない。しかし羽化したらとんでもないことになる。
そうなったらやはり本物の双子の妖精がいなくては大変だ。
私はあたりを懸命に探してみたのだが一向にみつからない。
妖精の方は未だイノファント島にいるのかもしれない。そのうち来るのかな?

「それならそれで、まあ~いっか!」

私は再び走り始めた。


秋は着実に一歩一歩と近付いて来るのです。
日中はそれでも太陽が顔を出すと気温も20℃を越えて春の様に温かいのですが、夕暮れを迎えたあたりにはグッグッといっきに気温も下がり始め、秋があたりを支配してしまいます。
・・・う~さぶ!

皆さんは覚えているでしょうか?
今年6月25日のブログで紹介した「ハゼの木」を。
そう、世田谷区奥沢にある景色盆栽「sinajina」より購入した例の奴。


これは購入直後のスナップです。
活き活きと、そして青々と若さが爆発しておりました。


こちらは、あれから3ヶ月が経過し、初秋を迎えたあたりのスナップです。
紅葉は山がそうなるのとは反対に下から徐々に上へと登って来ています。最初は一番下方にあったものがものの見事に真紅に染まっておりました。
その葉も早々とちり、丁度中間あたりが赤く染まり出したところです。


「オォ~ビューティフル~ワンダフル~サイコ~ワ~オ!」
てな感じで、これが現在の姿です。
なんだか幹もひと回り太くなった気がします。
てっぺんの方は未だ完全に変化していませんが、全体的に真紅になって来ました。
赤が本当にきれいです。
苦節5ヶ月、ついに枯らす事もなくべっぴんさんに育て上げました。

「sjnajina」小林健二様、元気な「ハゼの木」をありがとう。

この、初めての冬も枯らす事無く無事に乗り切りたいと思っています。
それはそうと、先日、行着けの美容室「ミュゼ」に行ったところ、店主の吉本王子から
「あれあれ、ちょっとてっぺんあたりの密度が・・・・・」
なんて言われ、そっちの枯れが心配でならない今日この頃なのでありました。
「大腸にポリープがありますね、それも2個」
いつもお世話になっている病院の先生からの有り難いお言葉。
かつて病気と言えばカゼくらいで、ほとんどが1~2回通院して駐車をうてば、いやいや、注射をうてばそれですんでいたのだが。
しかししかし、今回はちょっと事情が違うらしい。
「このポリープのひとつは直径10ミリを越えてるから早めに切除したほうがいいですね。
紹介状を書きますからそちらの大きな病院で摘出手術を行なってもらってください。うまく行けば2泊3日の入院でなんとかなると思いますよ」

入院とはどんなものなのだろう・・・・・。

まったくの未知の世界、好奇心的期待と想像の付かない不安が入り交じる奇異な感覚。
2泊3日と言うお泊まり保育的短期間なのだが、いつもアメリカ出張に使用するボストンバックがアメリカ出張に出掛ける程にいろんなものを押し込みパンパンに膨らんでいる。
いったい私はどこまでいくつもりのだろうか?

準備万端、さぁっ、いよいよ出発だ!


おお~、4人部屋なのだが、なんと快適そうに区切られた空間ではありませんか。
ビジネスホテルのシングル並の広さと設備、早速着替え等をロッカーに収納し、患者用のパジャマに着替えたのであります。
それにしても素晴らしい対応の看護士の方々、至れり尽せりの介護に私は感動すら覚えたのであります。
そしてその日の夜は「ポタージュスープ」のみがだされ、それを小さなスプーンでありがたくもちびちびと腹に入れたものの、テレビCMのミスタードーナツの黒く丸い奴がどうしても頭を離れず「治ったら絶対に食ってやる」と心に決めて、なんとか就寝。
それでも部屋が落着くせいかたっぷりと熟睡、翌朝が音も無くやんわりとした光と共にやってきたのです。
いよいよ手術の日だ。

その為のこの大きな下剤がドカンとテーブルの上に。
午前の8時までには早目にこれをやっつけて腸の中をからっぽできれいにしなくてはいけない。
せっせと汗しながらもこの液体を飲み続けたのであります。
すると・・・・「来た~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
まるで水道の蛇口をひねったかのような肛門からの怒濤の流水。こうなったらもう止まらない。
最後の最後には、これって飲めるのか、くらいの清水に・・それはないな。
そして無事にポリープを全摘してもらったのであります。
2個だったはずのポリープは実はもうひとつ発見され、全部で3個を難無く焼き切る事に成功し、そして手術も終了したのであります。
それにしても担当のN先生の何一つ無駄のない技術はすごい、の一言でありました。
ありがとうございました。


翌早朝、東の空にはオレンジ色の明るい太陽が登り始めた。
なんだか平和でいて新しい人生の始まりのような清清しい景色だ。

「え、オバマがノーベル平和賞受賞、・・・世界の核を摘出して欲しいものだ」

まだ数日間、肛門は踏ん張れませんが、仕事は踏ん張るつもりです。



実りの秋も深まる今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
私はと言えば日夜、世間に面白い事は転がっていないかと探索の日々でありまして、その実りと言う言葉すら忘れさっていた次第であります。
そんな腑甲斐無い私にその実りの意味を教えてくれたある屈強な植物がありました。


いかがですか、この生命力と運の良さ。
たまたまこの狭い花壇に種が飛んで来ては、たくましくもここまで育ったのでしょう。
そしてなんと、健気にも一本ながら立派な「とうもろこし」を育んでいるではありませんか。
私はこの突飛な光景にびっくりしてしまい。
ここまでくると誰かがその実をもぎ取ってしまいそうなものですが、セーフであります。



この実りの秋の夜の第二弾。
2009年栄えある「ダイコン娘」に選出されました里美さんが店を尋ねてくれました。
そのたくましいダイコンに、いやいや、腕にしっかりとダイコンが抱えられております。
今年も豊作だったそうですね。良かったですね。
私達はその真っ白なダイコンをたくさん頂く事が出来ました。
本当にありがとうございました。



彼女が帰った後には「秋」がしっかりと刻まれておりました。


「そろそろハ-レ-なんか・・・欲しいな・・・」
恐る恐る、しかもなにげなくさえずってみた。
「あそっいいんじゃない!」
あっさりとした拍子抜けの返事がカミさんから返ってきた。
おそらくプラモデルか何かと勘違いしているに違い無い。しかしそれはそれでOKだ。
物本を買ってしまって後でなんだかんだと言われても「買っていいって言ったじゃん!」と言張れる。
これはグッドチャンスではないか。

洋服の展示会のあった9月のある日。
私は超高速で商品サンプルをチェックし、たっぷりの空き時間を無理矢理作り、早々にパソコンチェックを入れてあった江戸川の「ラック・ローズ」さんへと向ったのでした。
道の途中、先程チェックして来た洋服の商品郡はすっかりと頭の中から消え去ってしまっていた。
大丈夫かな?まぁしっかりと写真は撮ってあるから帰ってからもう一度真面目に見直そう。うん、うん!


おお~ここだ、ここだ!
かなり大きなショップではないか。店内外に多量のハ-レ-が並ぶ。


おお~このショベルのボバーはいいな~、かっこいい!
えっ売約済み、そうか残念だ、売れてしまったのならしょうがない。
他を探すか。


おおこれはどうだ。このタイプならさっきのボバーにフロント回りの改造だけで近いものが出来そうだ。どうやら売約もついてはいないようだし。
しかもエボだしド素人の私には打ってつけではないか。
「これっていい感じに作ってもらえますか?」
「もちろん出来ますよ。かっこいいやつ作りますよ」
そういってニコリと微笑んだのは、急遽私の担当となった藤脇氏。
彼は広島出身で気のいい21才。


彼、藤脇氏のパンヘッド。
フルオリジナルの稀商物で値段を聞いた私は2歩程後ずさり、「そうじゃけんのう!」と本場の広島弁に3歩程後ずさってしまったのです。
この後、跨がせてもらったのだが、これがなかなかの座り心地の良さ。すばらしい!


メカニックの彼は寄寓にもむつ市の出身との事、かなり近場であります。
この後、共通の話題でひと盛り上がり。そしてさっきのエボにどんなふうに手をかけよかと相談タイムとなった訳なのですが・・・・・。

さあっこの後どんな展開へと進んでいったやら、こう御期待であります。

ある晴れた朝、テレビのスイッチをONにすると衝撃的な映像が飛び込んできた。
海女さんがかわいい・・・・・のだ。
何かのイベントにタレントが挑戦しているのだろうと気もそぞろに眺めていると、なにやら本物らしい。
まさかと思い寝ぼけ眼をふた拭きして凝視。

「うわぁ~なんてかわいい人だ~しかも本職の海女さんなんだ、それに久慈って~とても近いじゃないか~藤川市議といい、この南部地方は美人の宝庫ではないか」
伝統の海女を絶やしてはいけないと健気にも勤しんでいるその姿に感動。

そう言えば先日友人がこんな事を言っていた。
「俺は久慈の千草のラーメンが一番好きだな~あのチキンスープが最高なんだよ!」
ラーメンに目のない私の心の奥底にこのフレーズがしっかりと残っていた。
いつか機会があったら、ぜひともそのラーメンを食ってみたいと思っていた。
そうなのだ、これが絶好の機会ではないか。
と言う訳で次の休日、バイクでビューンと向ったのでした。

AM11:00 ー久慈駅に到着ー
千草のラーメンが先か、海女さんが先か、迷った末に海女さんに決定!
しかし、ここから何処へ向えばいいのだ。さっぱりと方向性を見失った私はこちらに向って歩いて来る老婦人に尋ねてみる事にした。
「あっすみません。怪しいものではありませんので御安心を。実は最近テレビで見たのですが、この地に伝統の海女漁があるとの事で、ぜひそこに行きたいのですがどちらへ向えばよろしいのですか?」
私はなるたけ丁寧に言葉を選んだ。
「はっはっはっ~な~にまだ、あの若い娘に会いに行ぐんだべ。その道路を左に行って、橋を越えたらまだ左、それを真直ぐ行げばいいよ。ちょっと遠いよ」
どうやらすっかりとおみとうしの様であった。
「いやいやいや、おかあさんもなかなかどうしてお若いですよ。ありがとうございます」
私はしっかりとお礼を言ってアクセル全開向ったのであります。


切り立った岸壁にか細い道路が沿うように設けられていて、かなり危険な臭いが漂う風景だ。
相互交通なのだが車一台しか通れない所もちらほら。落石なども危惧される険しい道程だ。


そんな険しく立ちはだかる環境をもものともせず突き進む事数分。目的の海女の館が見えてきた。
とても素朴な佇まいでなんだか心が和む。顔だけ出して写真を撮る海女パネルにちょっぴり心がそよいだが、いい年こいてやっぱりやめておこう。
海側に誰もいなかったらそのまま帰ろうと軽く考えていた私は、なにげにこの建物の裏側へと歩を進めたのであります。


「えっまさか!彼女達がそうか!え~しかも撮影中!」
私はラッキーでありました。ちょうどテレビの撮影が行なわれている様子。
彼女達に偶然にも会う事が、すぐ側にまで近付く事が、出来たのであります。


私は幸せものであります。
さりげない自然な姿をキャッチする事が出来ました。
しかしであります。この日の気温はまあまあ高めではあったのですが、今は9月、きっと海の水は冷たいはず、しかも濡れた衣装のままでの作業はなおさら体温を奪って行くのです。
ちょっと寒そうに見えたので、カゼをひかなければいいがと思った次第であります。
撮影の邪魔になるのもなにかと、数分でここを後にしたのでした。


再び久慈市内に向けバイクを走らせ「らーめん千草」へと到着。
きれいな町並みに、なかなかモダンな店構え。
さっそく「ラーメン&小ライス」を注文したのです。


うわぁ~うまそ~!
ズッズッズッズーーーーあ~うめ~!トリダシが強烈にきいててうっすらと浮ぶトリアブラが良いコクを出している。
奴の言う通りこれは食いに来る価値がある味だ。
良かった良かった体もホカホカにあったまった。スープまで完食。

本日、私は、なんとふたつの幸せをゲット出来たのであります。
本当にナイスな一日でありました。
この幸せがいつまでも続いてくれますよ~にと願い、とっとと帰途についたのであります。

しかし、海女の彼女達、あんなにいろんな人々が押し掛けて撮影だとか何だとか、平穏な生活が一変したんだろうな~大丈夫なんだろうか。
つられて行ってる私も悪いが、なんとか乗り切って欲しいものだと切にねがったのです。
後、十年もしたらまた行ってみたいね。


笑顔で頑張る彼女達に千草のあの温かいラーメンを食わせてやりたいものだと思った、名も無きおっさんでありました。

去る8月31日、私は誕生日を迎えた。
ひとつの節目、折り返したその先にあるもの、そう、とうとう還暦前の大台の位置にのったのであります。
金、銀、銅の色付きメダルは取れなかったものの、かろうじて入賞は果し、燦然と輝く表彰台のななめ後方の薄暗い隅にある小さな表彰台の方に仕方なく乗っかったみたいなイメージ。
暗くややこしい年令であります。

ソールブランチカフェでひっそりとちびちび軽~く酒でも飲もうと決めていたので、暗闇に包まれた小道をとぼとぼとひとり向ったのです。
するとなんと、びっくり仰天!
みんなが集まってくれているではありませんか。
それこそ、いい年こいて危なく感涙にむせぶところでありました。いや~うれしいものです!


こんな素晴らしいケーキをもらったのは小学生以来、思わず顔を突っ込まなければと芸人根性がふつふつとわくも「顔だけは突っ込むな、食いたいから!」の一言で断念。


ソールブランチカフェのタクちゃん、ミツエさん夫妻からの料理のプレゼント。
輝かしいインゲンでのの文字。とても崩せないと思っていたら、同席の梅ちゃんが簡単に崩しておりました。
たやすいものですね人生って!


ステテコをはかせたら日本一と噂の高い「岩SOUR」夫妻からはスポーツ用アンダーウエアーセットを頂きました。
ふたりイイ笑顔ですね~。
しかしこの数時間後「岩SOUR」はろれつがやや怪しくなったのですが、カラオケにて「居酒屋」を夫婦で熱唱しておりました。
やるやるとは聞いていましたが、やっぱりなかなかやる夫婦です。


写真右端のジンが野菜たっぷりの料理にハシを付けて言ったのです。
「梅さん、このキュウリなかなかうまいっすよ」
「はっ、お前はアホか!これはズッキーニだろ。こんなのも知らね~のか。」
写真まん中の梅ちゃんがあきれ顔で突っ込んだのです。
「だってしょうがないでしょ、そんな事言ったって食った事ないんですもん。だいたいこんな物普段食わないっしょ。それじゃあこのアンチョビは梅さん解るんすか?」
ジンは負けじと梅ちゃんに次の食材を提示しては食って掛かった。
しかし、私はそれを見ていて背筋が凍り付くのを覚えたのです。
なぜなら、奴は、明らかに「アンチョビ」と言いながら「オリ-ヴ」を摘んでいるのです。
そのスライスされた黒い「オリ-ヴ」の破片をハシに挟み、まるで対決に勝ったかの様な満面の笑みなのです。
案の定梅ちゃんが吠えた。
「おい、お前はやっぱりアホだな。久々に大学出が入ったと思ったらこれだ。それはオリーブだろ。お前の食生活はどうなってるんだ。よくピザに入ってんだろ。良く見てみろよ、まったく!」
ジンはこの一件で撃沈してのでありました。この後は静かにちびちびと・・・・。

そんな梅ちゃんもよくこんな他愛無い事をいっています。
なんで世間は「松・竹・梅」なんだよ。なんで松が上で梅が下なんだよ。納得いかねーな!今度から「梅・竹・松」にしよーぜ。
な~んて、竹の事はまったく眼中になく、深く考えてもいない梅ちゃんでした。

写真左端はタクちゃんです。
料理も一通り作り終わり私達と合流です。そしてやっちまったのです。
ブラジルの強い酒をグイグイと。かなりヘロヘロになっております。
確かにろれつもれろれろであります。普段のしっかり者のタクちゃんしか知らない人は必見でありますよ!
次の日大丈夫だったかな~!
スタッフの皆様からはバイク用にグローブと大きな愛を頂いた次第です。
本当に有り難うございました!
こんなにして頂いてもう思い残す事は何も有りません。

でもまだまだ死にませんよ!えへへ!

洋服の展示会などで東京へと頻繁に向うのですが、そんな時はやはり新幹線を利用するのです。
八戸発着になってからは随分楽になったものです。
私がその展示会に向うあたりは、やはり他のショップの方々も同じようにその時期に展示会へと向うので、かなりの確率で知っている顔を駅構内にて見かけるのです。
その新幹線のチケットについてはいつも旅行会社に頼んでおきます。
私としては二人がけの窓側、つまり、席ナンバーで言えば「E」席。その指定のみを告げ後はどこでも空いている所があればと注文します。

先日は初めて1号車1番「E」でありました。
なんのことはないのですが、なんだか根拠のない漠然とした喜びが沸いて来たのは事実です。
ただそれだけです。



こちらは初夏を向かえた頃、6月のチケットです。
都内での展示会を終えやや早目の17:56東京発の「はやて29号」のチケットです。
汗を拭き拭き指定である「7号車6番E席」へ辿り着くと、そこには既に先客が座っておりました。
「すみません、そこは私の席なのですが、変わってもらえますか」
私はその失礼な輩にはっきりと言い放ったのです。
「え!何言ってんの、ここは私の席ですよ。あなたこそ自分のチケットをもう一度確認してみた方が良いんじゃないですか?」
「いやいや何を言ってんですか、私のチケットはこれですよ、おたくのやつも見せて下さいよ」
と、一緒に並べたのがこのショット。
まるっきり一緒ではありませんか。
[はやて29号・17:56発・7号車・6番・E席]
「うわ~こんなことってあるんですね~へ~めずらしい~」
な~んて言ってふたり笑いあったのですが、よ~く見ると日付けに余分なものが・・・・・・
今日は「6月9日」のはず、私のチケットの日付けには余計な「2」がついた「29日」ではありませんか。
まだ20日も先のチケットだ。
「ひぇ~~~~~~~~~~!」
私の惨敗でした。
早々に車掌を呼んで空いてる席を探してもらう始末。
だけどなんだかこんなちょっとしたアクシデントに嬉しい感覚!ただただぼんやりと過ぎて行く日々への刺激剤だ。
「えへへ、こんなことってあるんですね~めずらしい~」
再び先客に二言目を告げ、私は新しい席へと意気揚々と向ったのでした。

すっかりと眠気もさめ、読書の進んだ旅でありました。めでたしめでたし!
太陽光、そう、日照時間が乏しく、蒸し暑さだけしか感じられないこの夏。
とうとうこの東北地方は「梅雨明け宣言無し」が発せられた。
そんな憂鬱な環境の中、高速道路料金1000円のあおりが世間を席巻し、お盆休み中あらゆる高速道路が渋滞の渦。
どうにもこうにも全てが混乱の中にあった8月中頃でありました。


そんな混乱も徐々に落ち着きを見せ始めた19日、彼等はやって来たのです。


(ウ-ゴ・ファットルーソ&ヤヒロトモヒロ)
~ソールブランチカフェ「タクちゃん」プロデュース~
仕事を片付けた後、会場である「JAZZの館・南郷」へと速攻向ったのでした。


おお~オガではないか。数年前にティーバードから独立し頑張っている男だ。
以前より若返った感があるな~。髪の毛もしっかりと生えているしどうやら店の方も順調なようだ。安心安心!


会場内に入るや全体熱気に包まれ燃えておりました。




ひとりは南米ウルグアイの至宝ピアニストであり、そしてもうひとりは日本を代表するパーカッショニスト。
素晴らしいセッションの連続。
後ろの席に腰掛けていた私は思いきってステージへと向い彼等の勇姿をパチリ。
そして自分の席へと戻ったのです。
トントン、私の肩をつっ突く指先、私は振り返ったのです。
「おっちゃん、撮影禁止、だめだよ撮っちゃ。」
「え~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
どうりで誰一人撮影をしている者がいなかったはずだ。
「えへへ、ごめんごめん!」
なんとか愛想で切り抜けた。
なぜか隣の席に「岩SOUR」。
「なにやってんすか~、いい年こいて注意されてどうするんすか~、しょうがね~な」
なんとあのステテコ野郎まで私を攻め出す始末。
しかしここはググッと堪えなくてはいけない、なぜなら私が悪いのだから。
「あっそう言えばもうすぐ大台にのる誕生日じゃないすか?」
突然岩SOURが方向転換しては切り出した。
「なあ~んだ岩SOUR大事な事知ってんじゃん、実はそ~なんだよ」
「俺がどこかでパァ-ッと祝ってやりますよ」
岩SOURはガッポーズで言い放った。
「まじで、お前って態度は悪いけど本当は良い奴だったんだな~それじゃよろしく!」

そんな会話をよそに会場は心地よい音楽に終止包まれておりました。
二人の織り成す美しい世界にどっぷりと浸った真夏の暑い夜だったのでした。
彼等はまだまだツアー中、機会があったらぜひ会場に足を運んでもらいたいものですね。


リアス式の入り組んだ海岸線を私は北へと走行中だった。
「なっ、何だあれは!」

前方を見つめる私の目に忽然と表れたバックトゥ-ザフューチャ-のデロリアン号の痕跡。
焼けこげたタイヤ痕がくっきりとアスファルト上に2本浮んでいる。
私は私自身の目を疑った。

ドクとマーティがここにも姿を表したのか・・・・・。
松の木が生い茂る山林の向こう側から次元を飛び越えてこの地に出現したとみられる。
この時代のこの八戸に何か重要な事実があったに違い無い、この痕跡をさらり、難無くスルーした私の脳裏に彼等の笑顔が浮んではすぐに消えた。

海岸線をバイクで走行中、ふと山岳地帯へと続く細道へと入った。
このラインを真直ぐに進んで行くと去年よく登った「階上岳」へと続く。
久し振りに「階上岳」の中腹を貫くワインディングでも攻めてみようか、そう思った矢先だった。
「なっ、何だあれは!」

木の化物か、走行中の私は全身恐怖に震えた。

まるで恐竜時代の生き残りではないか。全身を蔦が取り巻き何か別世界の生き物の様にみえる。
両手を広げたその姿は獲物を、標的を逃すまいとすすんでいるようだ。

昼食の時間が来た。
今日はジンに頼んで「オレンジハート」から玉子サンドとおにぎりを買って来てもらっていた。
う~ん、いつもながらにボリュームがあって、しかもうまい!
どれどれ、次はおにぎりを食うか。
そのおにぎりを手にとった私は腰が抜けた。
「なんじゃこれは~」

なんと「テン」の顔が浮んでいるではないか。
イタチ科特有の鋭い目つきだが、なんと口には笑みが浮んでいるではないか。
じっくり見るとなかなかかわいいではないか。
我にかえった私は、何事もなかったようにラップをはがしガブリと食ったのだった。


また会いましょう!


今年もやってまいりました~熱い季節が。
青森のねぶた祭り、弘前のねぷた祭り、五所川原の立ねぶた、そしてむつの田名部まつりと祭りずくしの夏の青森。
我々の住む八戸はと言えば、ごぞんじ三社大祭の幕開けと相成った訳であります。

初日はいつもながらに開店休業状態になってしまいますので店の前でお酒を飲みながらの見物になります。
しかしながら今回の初日は土曜日、いつもなら店を閉めてここで見物をする各ショップの連中も今日は店を開けている為来れずじまい。


しかしながら、昨年同様こんなにもたくさんのすばらしい料理を携えてやって来てくれたのが、大野シスターズの末っ子ショーコ。
いつもありがとう、お祭りよりもこっちの方が楽しみになってきた感があるね。
ネギ入り卵焼きは感動を覚えたし、大野ママ特製のキュウリのぬか漬けにはうま過ぎてビールが進む進む。



三社大祭が幕を開け「駒踊り」が始まり、そして次々と大きな山車の運行が続きました。
今年はまた一段と山車が大きくなった様子。


束の間の夢のような時間もあっと言う間に過ぎ去り山車は時間と同じように私達の前を過ぎ去って行ってしましました。
「さようなら~今年の山車達よ~また来年会おうぜ~」



全てが過ぎ去った後を見送るひとりの風呂上がりのおっさんか・・・。
ステテコ姿が凛々しいな、最近見ないかっこうだもんな。
彼も虚しいんだろうな~この祭りの後と言うのは・・・。


ん!
あれ???あれって「岩SOUR」か?
まさか、やつらは今日近所で行なわれる「夕すずみ会」に出席しているはずだ。
世界には3人程そっくりなやつがいると言うから、あのおっさんはきっとそのうちのひとりだろう。
それにしてもよくこの近所に似た人がいたものだ。
まあそれはそれとして、今日はちょっと飲み過ぎたようだ・・・。

だけど・・・このままじゃまだ帰れないから・・・皆で飲みにいっちゃおうかな~。

・・・ それにしてもあのおっさん ・・・ 岩SOURにそっくりだったなぁ  



ハンバーグを十分に堪能できた前回、実はもうひとつの目的があったのです。
ハンバーグに関して言えば、雑貨屋で買い物に夢中になっていてその流れのままに食事をしてしまい、後になって「あっそうだ、ここで食うんだった!」と思い出す展開だったのだが、こっちは違った。
以前から「あそこの場所にはぜひ行ってみたい」と常に頭の中にあったものだ。


ちょうど二戸郡一戸町を突っ切る国道4号線上。
この辺はトンネルも多い山岳地帯、この国道4号線ですら山の中腹あたりを横切る道路で、その片側は谷になっている。
その深い谷の向こう側にそびえる山懐にちょこんと存在する「懐かしの小学校」らしいオレンジ屋根の建物。
活動しているのか?活動していないのか?ここからは確認できず、行こうにもどこから行けば良いのか皆目見当がつかず、車での時は到底無理とあきらめていたのでした。
しかし・・・今回はバイク。
早速軽快にこの辺だろうとあたりをつけた細道に入たのでした。


おお~思った通り小学校だ。
う~ん、だが、やはり思った通り廃校のようだ、環境の良い所なのに残念!
平屋の校舎といい、うま飛び用のカラフルなタイヤといい、絵に書いた様な昔の小学校だ。
この学校に通ってはいないが郷愁をさそう懐かしさが込み上げてくる。
きっとあの奥のひと回り大きな建物が体育館なのだろう。


時計は(2:07)。
この時間は何をさしているのだろう、知りたいような知りたく無いような。この時計のみが知る事。
玄関は凛々しく直立しなんの乱れも無い、堅固でゆるぎのないさまだ。


連なる鉄棒の残骸。
これではもう使えそうにない。時はこうやってあらゆるのものを壊していく。
風化の中に時代の流れが垣間見える。
昨年の9月にアップしていた「平内町の浜辺の小学校」は今月解体されていた。

どうやらホッコリとする景色は徐々に姿を消していく運命のようだ。
・・・・跡形もなく・・・・。